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前回の記事では、2022年の電子書籍ライトノベル市場を65.1億円と試算しました。他方、出版社へのヒアリングをもとに「多めに見積もっても20億円台」と推測する声もあります。実際のところ、紙と電子のライトノベル市場はいまどうなっているのか? さらに調査・試算・考察してみました。少々長い記事なので、結論だけ見たい方は末尾の「紙と電子のラノベ市場を足すと?」をご覧ください。
【目次】
電子ラノベ市場を公開情報から試算
前回の試算で筆者は「ライトノベルは同シリーズの続刊が年に複数回出ることも多く、利用頻度は他ジャンルより高い可能性もある」と示唆しておいた。つまり、利用率だけを元に試算する前回のやり方は値が低めに出ているが、電子書籍のライトノベル市場はもっと大きいはずだ、と考えていたのだ。
仮にラノベが「20億円台」なら、それ以外で420億円だが……?
ところが逆に、「(電子書籍のライトノベル市場は)おそらく多めに見積もっても20億円台だろう」という声があった1 その意見を批判することが目的ではないため、本稿では特定するのを避けておく。。仮にその意見が正しいとすると、出版科学研究所の推計では2022年の電子書籍(文字ものなど)市場は446億円なので、残りの約420億円はなにか? という話になるだろう。
インプレス総合研究所『電子書籍ビジネス調査報告書2023』2 2022年度の市場規模は6026億円、2027年度には8000億円市場に成長 Webtoonが電子コミック市場の1割の規模に 『電子書籍ビジネス調査報告書2023』〈インプレス総合研究所(2023年8月8日)〉
https://research.impress.co.jp/topics/list/ebook/673の利用率調査で、マンガを除くと1位はライトノベルだ。ライトノベルに次ぐ、趣味・実用・ガイド、文芸小説、ビジネス、パソコン・IT、ノンフィクションあたりが、ライトノベルより売れているだろうか?
このあたりのジャンルは、単価は高いが購入頻度は低いことが予想できる。利用率のさらに低いアダルト・官能小説やボーイズラブ小説あたりは、購入頻度は高いかもしれない。また、「写真集が売れている」という話を聞いたこともある。
しかし、ライトノベルを「20億円台」としたとき、他ジャンルがもっと圧倒的に売れている状態でないと、残りの420億円を埋めることは難しい。それを示すような客観的なデータを、残念ながら筆者は知らない。
なお、出版科学研究所の推計は「読者(一般ユーザー)が支払った金額」のみであり、定額読み放題(いわゆるサブスク)は含まれるが、広告収入・電子図書館サービス・電子ジャーナルなどは含まれていない。つまり、コロナ禍で急成長した電子図書館市場の数字は、ここには加味できないのだ。
紙と電子は新刊/既刊の売れ方が違う
この「20億円台」という推計は、出版社の方へヒアリングし「電子は紙の10%未満」という回答を得たことを元にしているようだ。しかし、陳列スペースに物理制約があるため販売期間も限られる紙の書籍と、返本という概念がないため過去からの全ラインアップを長期間販売し続けられる電子書籍とでは、売れ方にかなりの違いがある。クリス ・アンダーソン氏の提唱した、いわゆる「ロングテール」だ3 The Long Tail〈WIRED(2004年10月1日)〉
https://www.wired.com/2004/10/tail/
物理スペースに限りのあるリアルな小売店では、2割の商品が8割の売上を稼ぐという「パレートの法則」が起きる。上位2割の「売れ筋商品」に対し、下位8割は「死に筋商品」と呼ばれ店頭から早々に消えてしまう。しかし、オンラインショッピングでは事実上無限の棚があるため、下位8割も並べておくことができる。すると、商品別の販売実績順に並べたグラフで「長い尻尾」のような形になった下位8割の売上合計が、上位2割の売上合計に匹敵するという理論。。
一般的にリアル書店は、送料負担のみで返本可能な委託販売制ということもあり、新刊の売上比率が高い4 少子化なのに「絵本」市場は拡大の知られざる裏側 大人を意識した絵本も登場「新規参入も続々」 | メディア業界〈東洋経済オンライン(2023年6月9日)〉にもあるように、もちろんジャンルによっても異なる。
https://toyokeizai.net/articles/-/674644
ここには「トーハンのデータによると、新作ではない既刊本のPOS売り上げの割合は文芸系37.4%、生活系65.9%、趣味実用60.2%だが、2022年の児童書の既刊本は78%、絵本だけに限ると83.3%とほかのジャンルに比べて既刊本の割合が格段に高い」との記述がある。つまりリアル書店では少なくとも「文芸系は新刊が強い」のは間違いない。。それに対し、電子書店は既刊の売上比率が高い5 リアル書店で突然コミック作品が売れ出した事例も、「LINEマンガ」無料連載がきっかけで〈INTERNET Watch(2017年4月21日)〉
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/1056134.html
少し古い情報だが、この「LINEマンガ」のプレスセミナーでは「新刊の販売比率が12%で、残る88%は既刊の売上」という情報が得られた(この新刊/既刊比率をLINE森氏に質問したのは筆者である)。これはコミックだけの話だが、ライトノベルもコミックと同様に巻数が多いため、比較的既刊が強いことは推測できる。。コミックやライトノベルのようにシリーズの巻数が多くなるほど、その傾向は強くなる。数十巻あるようなシリーズの全巻を在庫し続けるリアル書店は少ないが、電子書店はそれが可能なのだ。
出版科学研究所『季刊 出版指標』2024年冬号「電子書籍」の概況には「ライトノベルや写真集は比較的好調だが、文芸やビジネス、実用書などは不振」「ライトノベルなどを除くとコミックのように定期的な続巻行がないこともあり、キャンペーン施策の効果が限定的だ。売れ筋は新刊中心になっており、紙の書籍同様に低調だった。」との記述があった6 『季刊 出版指標』2024年冬号
https://shuppankagaku.shop-pro.jp/?pid=179153666。
つまりこれは裏を返せば、ライトノベルには定期的な続巻行があるため、キャンペーン施策がコミックと同様に効果的ということだ。出版科学研究所は、筆者と同じ考え方をしていることがわかる。
なお、HON.jpでは通算146点の電子書籍を出版しているが、「ロングテール」理論の正しさを確認できたのは開始から4年ほど経ってからだ。累計をグラフ化してみて初めて、例の長い尻尾のあるグラフとまったく同じであることに気づいたのだ。そのとき、実数を把握しているはずの当事者(著者・出版社)でさえ、中長期で集計しない限り状況を正しく把握するのは難しいことを筆者は痛感した。
ヒアリングにもとづく試算の難しさ
ましてヒアリングにおいては、尋ねた相手次第で把握している範囲や認識の違い、あるいは尋ね方によっても違いが出る可能性がある。仮に出版社の方から「紙と電子の売上比率は9:1」と言われたとしよう。それは、発売直後の初動だけを比較しているのか、直近1年間の比較なのか、発売から全期間累計での比較なのか。あるいは、会社全体の話なのか、部署の話なのか、その人が担当している作品だけの話なのか。ヒアリングのときは、こういった前提条件の確認が重要だ。
同じ紙なら前提条件が同じである可能性も高いが、紙と電子で売れ方が違うことを把握できていないと認識にもズレが起きる。紙の本は新刊だけ、それも短期間で評価されがちだ。その評価基準だと、電子は過小評価されやすい。急成長して紙を凌駕した電子コミック市場も、2017年くらいまでは「購入しても作家の応援にはならない」などと過小評価されていたのを思い出す7 「電子書籍の購入は作家の応援にならない」は本当? 現役編集者に聞いた〈KAI-YOU.net(2017年1月31日)〉
https://kai-you.net/article/37959。
つまり、紙と電子の売上を比較するなら、少なくとも1年くらいの期間で集計する必要がある、ということだ。そこで本稿では、調査報告書や決算情報など一般に入手可能な公開情報を元に、あらためて他の手法でライトノベル市場の規模を試算してみることにする。以下、公開情報は黄色、公開情報をもとに仮定・推測した数値は青でマーカーしておく。
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