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急成長を続けいまや太い「柱」となった感のある電子コミック市場に対し、「文字もの」と呼ばれる電子書籍市場はいまだ書籍市場の4.4%程度。成長市場ではあるものの、その規模はまだまだ小さいのが現状だ。そんな中、ほとんどのラインアップが文字ものという、電子出版専門の出版社が存在する。それが株式会社アドレナライズだ。代表取締役の井手邦俊氏に、これまでの経緯や現況について話を伺った。
アドレナライズの設立は2010年12月。シャープ「GALAPAGOS」とソニー「Reader」が発売され、KADOKAWA「BOOK☆WALKER」が正式スタートしたころだ。井手氏の経歴は、最初は編プロで雑誌を、その後、出版社へ入り書籍の編集を手がけ、アドレナライズを設立したころはフリーの編集者として、紙の仕事も並行してやっていたという。
会社を設立したきっかけは、その年の5月に発売された「iPad」。本と音楽と映画とゲームがすべて横並びで、同じ端末から楽しむことができる読書環境の登場に、これで出版業界は変わると思ったそうだ。
「実際、あれから8年経ちますが、大きく変わりましたよね。電子は間違いなく伸びると思ってました。ただ、まさかここまで紙が凋落するとは思っていなかったなあ」
「後でどうなっても知りませんよ!」と言われた
現在アドレナライズが取り扱っている作品は、約1300点。年間160点以上を出版し続けてきた計算になる。オリジナルが1割。残りの9割は、紙の本からの復刻だという。
実は、今回取材をするにあたって、井手氏の名前を出してもいいかどうかを、改めて確認している。もちろん会社の登記簿などを調べればわかることではあるが、これまでなるべく名前は出さないようにしてきた、という話を聞いたためだ。結果、名前は出してもいいが、顔出しはNGとなった。
「いやがらせとか、苦情の電話とか、あったんです。『出版業界の慣習に反している、後でどうなっても知りませんよ!』と言われたこともありました。紙の本を作った編集者の気持ちもわからないことはないですけどね。でもその関係性って、例えるなら、『昔の彼女が結婚する』という連絡をもらったとき、昔の彼氏としてどう対応するか? という話になるのかな」
ここには少し解説が必要だろう。2014年以前の著作権法は、「原作のまま印刷その他の機械的又は化学的方法により文書又は図画として複製する」(旧第80条1項)のが「出版」であり、インターネットでの配信(公衆送信権)は考慮されていなかった。そのため日本書籍出版協会は2010年に、電子出版にも対応可能な契約書ヒナ型を作成公開している。そして、2015年1月施行の改正著作権法によって、物理(1号)と電子(2号)の出版権は別々に設定できるようになった。
しかし、出版権というのは契約に基づき設定されるものなので、過去の契約を電子出版物にも対応させるには、契約書をまき直す必要がある。実際のところ、日々の業務に追われている出版社ほど、過去の契約にまでは手が回らなかったことが想像できる。それゆえ過去には「出版社に版面権を!」「出版社にも著作隣接権を!」といった要求がなされてきたのだが、著者側の反発もあり、実現には至っていない。
「品切重版未定」という業界慣習
これは「本は誰のものか?」という問題に直結する。著作権は著者に自然発生するが、出版権設定契約を結べば原作のまま複製する行為は出版者が独占する。出版者は、編集コストや印刷製本コスト、返本リスクなどを負うため、比較的強い権利が与えられているのだ。その代わり出版者には継続出版の義務があり、著者が違反を通知すれば一定期間後に出版権を消滅させられる。
ところが、出版契約は原則自動更新なので、著者から契約解除を言い出さない限り、出版者に権利が保持される。継続出版されていないのに「品切重版未定」という半端な状態にする、出版業界の慣習があったのだ。そこへ新たに登場したのが、電子出版である。インターネットでの配信(公衆送信権)が考慮されていなかった時代の契約書には当然、電子出版のことは書かれていない。
要するに、過去の出版物については、出版社に電子の権利が存在せず、法的にも契約的にも宙ぶらりんになっているケースが多いのだ。そこへ、アドレナライズのような第三者が、著者に「過去に出版した紙の本を、電子化しませんか?」と提案を持ちかける。すると、法的にも契約的にも問題がなかったとしても、出版社からすると「獲られた」と受け止められてしまう可能性があるのだ。
ただ、そもそもいまは著者がセルフパブリッシングできる時代だ。筆者は、電子の権利を確定せず、塩漬けにして放っておいた元の出版社が悪いと思う。実際、著者が出版社へ連絡すると、当時の担当者がいなくなっているような場合も多いようだ。
電子1本で猫のご飯代くらいは稼げるように
井手氏は、3年くらい前から紙の仕事をやめ、電子1本に切り替えたという。「電子1本でも、猫のご飯代くらいは稼げるようになりました」と謙遜する。アドレナライズTwitter公式アカウントのヘッダー写真には5匹ほど写っており、猫のご飯代とはいえそれなりの額ではないかと想像できる。とはいえ、まだ社員を雇えるほどではなく、1人でやっているとのことだ。
東京は快晴。朝から洗濯大会です。昨日降った雪がまだ屋根の上に残っていて、ベランダに出た猫らが不思議そうに見ていました。 pic.twitter.com/ZecUaMSm6B
— アドレナライズ (@adrenalizebook) 2019年2月10日
アドレナライズのラインアップは小説が多い。復刻作品の選定基準は「独断と偏見」だという。つまり、井手氏が読んで面白いと思った作品の中で、売れそうなもの、ということだ。また最近では、著者の方から「過去に出版した本を電子化してほしい」という依頼も来るようになったという。ラインアップから、とくに売れている作品を紹介いただいた。
長く売れ続けている作品
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『地図にない谷』(藤本泉)
その部落へはなぜ立ち入ってはいけないのか……そして、村民が次々と急死する風土病の謎とは?
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『怪談徒然草』(加門七海)
身も凍る戦慄の体験! 四日四晩にわたって語り切った実話怪談集
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『獣儀式 狂鬼降臨』(友成純一)
飛び散る脳漿、溢れる体液、地上は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄と化した
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『暁のキックスタート』(斎藤純)
バイクを愛するすべての人へ贈る、珠玉の短篇集
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『東電OL禁断の25時』(酒井あゆみ)
被害者と“夜の渋谷”で“同僚”だった著者が事件を追っていく
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刮目せよ! 他の追随を許さぬカオスぶり、あの超絶作品がついに蘇る!!
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ブルースの街のもうひとつの戦後史、横浜アウトサイド・ストーリー
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昨年、一昨年に話題になった作品
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東京・新宿にある警察署を舞台に、燃えるような情熱をもった刑事たち
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iPhoneアプリ時代に売れた作品
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宣伝広告で困っているのは紙の市場も同じ
インターネットで売れるかどうかは、著者のネームバリューに強く依存する、と井手氏。版元のブランドはあまり関係ないそうだ。著者名で検索し、著者名をクリックし、著書一覧を見て買うユーザーが多いように感じるという。
つまり、ユーザーが検索したとき、すぐ買えるラインアップがあるかどうかが重要、ということになる。なければ機会損失だ。そして、たとえばアマゾンで検索したとき古本しかなかったとしたら、売れても著者には印税が入らないためメリットがないわけだ。そういう意味で、電子版に不熱心な出版社というのは、著者を不幸にしていると筆者は思う。
実際のところ、宣伝広告費を投入してもあまり意味がなく(むしろ費用負けする)、広く周知させるにはTwitterくらいしかないのが悩みだそうだ。ただ、井手氏は「宣伝広告に困っているのは紙の市場も同じ」とも言う。だから著者がトークイベントをやったり、著者自身がTwitterで宣伝していたりする。いまは、話題になっても3日経つと忘れられてしまう。本屋さんに並べておくだけでは限界があるのだ。
定着には10年かかるが、諦めなければやっていける
電子化作業は、底本のスキャンをOCRして校正、という手順で行っている。化ける文字はだいたいわかってきたという。底本の書体に依っても精度は異なり、ルビに苦労させられるケースが多いそうだ。ただ、そういう面倒な作業を出版社がやりたがらないから、アドレナライズのような仕事が成り立っているのだ、ともいう。
実際、文字のテキストデータ化を考えなくてもいいコミックは、どんどん電子化率が高まっている。もしOCRの精度がもっと高くなり、ほとんど自動でやれるようになったら、大手がどんどん電子化していくだろう。電子出版の市場ができあがってしまえば、資本のあるところに勝てないだろうと井手氏は予測する。
ただ、電子化作業は、市場的にも、技術的にもテキストは難しい。スマホの液晶画面でテキストを読む人も多くなってきたが、マンガに比べたらまだまだだ。井手氏は、いまだに「紙vs電子」みたいなことを言う人がいるということは、まだ文化として根付いていないということだと考える。
「定着するには10年かかるだろう、とは最初から思っていました。でも、自分が諦めさえしなければ、じわじわとやってはいけるかな、と。諦めが悪いんですよ(笑)」
取材を終えて
昨年末に刊行された『ベストセラーはもういらない』(秦隆司/ボイジャー)は、「返本ゼロ」「読者への直接販売」を目指すアメリカの出版社ORブックスの、社主ジョン・オークスにスポットライトを当てた本だ。こちらを読み終えた私は、日本でもこういった事例をきちんと紹介していく必要があるのではないか? という焦燥感を覚えた。そこで最初に私の脳裏に浮かんだのが、アドレナライズだった。
実際に話を伺ってみて、地道にコツコツとやり続ける凄みと強さを感じるとともに、『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』(いしたにまさき/技術評論社/2013年)のことを思いだした。諦めない、というのも才能なのだ。
参考リンク
株式会社アドレナライズ公式サイト