《この記事は約 6 分で読めます(1分で600字計算)》
本稿は「出版ニュース」2019年3月上旬号へ寄稿した原稿の転載です。以下、縦書き原稿を横書きに変換してあるのと、リンクを張ったり改行を少し増やしたりしてありますが、文体は掲載時のまま(常体)です。
最終回は、明るい話題で締めくくりたい。[注:出版ニュースは3月下旬号にて休刊、筆者の連載はこれが最終回だった]
昨年末にボイジャーから刊行された、秦隆司著『ベストセラーはもういらない』を読んだ。アメリカの出版界を「完全に死んでいる」と評したジョン・オークスを、秦氏が数年間にわたって取材したノンフィクションだ。ジョン・オークスは、ニューヨークの出版社ORブックスの共同創業者。「返本ゼロ」「読者への直接販売」を目指し、2009年の創業から10年足らずで年商1億円超の出版社に成長させている。
実は、アメリカの出版社も、ベストセラー頼みのギャンブル経営で、返本の山に悩まされているという。そういう旧弊を改め、デジタルの力によって本の流通を改革していくべきだ、というのがジョン・オークスの持論だ。ジョン・オークスのやり方で興味深かったのは、比較的ローコストで発行できる電子版とPOD版を先に出し、売れ行き次第で伝統的出版に切り替えるという手法だ。そして、ハードカバーは自社で出さず、権利を大手出版社にサブライセンスしているのだという。
このモデルは、いまなら日本でも可能だ。出版権の再許諾は、以前は禁止されていた。それが、2015年施行の改正著作権法により、可能になっている。書協の契約書ヒナ型は現状、文庫化や復刊などの二次出版については「再許諾によらない商習慣がすでに確立されている」として、再許諾は「第1号についてはオンデマンド出版の場合に限る」とわざわざ限定しているが、これはあくまでヒナ型なので、そんな限定は外してしまえばいいのだ。
POD版(1号出版権)と電子版(2号出版権)を出せば、出版義務違反にはならない。POD版と電子版の実績をもって、単行本化や文庫化の権利をサブライセンスし、収益を山分け(レベニューシェア)すればいいのだ。もちろん商売は相手あってのことだから交渉が必要ではある。ただ、マンガアプリの世界では、複数版元によるレベニューシェアはすでに普通に行われている。紙のビジネスにも応用はできるだろう。
ジョン・オークスは1月31日に来日講演を行った際、ORブックスでの物理的な本の売上は、3分の1くらいと言っていた。これだけでは会社を運営していけないので、電子版の売上も大きな柱になっているという。版権売上も3分の1と言っていたので、電子版も3分の1くらいなのだろう。もっとも、ジョン・オークスは講演で「本のビジネスは人間関係に支えられている」とも言っていた。ORブックスでは、オノ・ヨーコやジュリアン・アサンジなど、著名人の本を出版している。そういう人間関係が既にある点が、彼の大きな武器の1つであるのも確かだろう。そこを真似るのは、残念ながら容易いことではない。
さて、筆者は『ベストセラーはもういらない』を読み終わったあと、HON.jp News Blogの編集長として「日本での成功事例も、きちんと紹介していく必要があるのではないか?」という焦燥感に駆られた。日本の電子出版は、コミックに関してはすでに太い柱になっている。しかし、文字もの市場は、成長はしているものの、まだまだ小さい。
そんな中、ほとんどのラインアップが文字ものという、電子専門の出版社が存在しているのを思いだした。それが株式会社アドレナライズだ。代表取締役の井手邦俊氏に取材を申し込み、話を伺った。アドレナライズの設立は2010年。すでに8年間、電子専門で生き残っていることになる。もっとも、最初の5年間くらいは紙の仕事も並行してやっていて、電子1本になったのは3年ほど前からとのこと。従業員はおらず、1人でやっている。広報担当は猫だ(アドレナライズのツイッター公式アカウント参照)。
アドレナライズの出版物で、オリジナルは1割に過ぎない。残りの9割は、紙の本からの復刻だ。つまり、紙が絶版もしくは品切重版未定状態の作品を、電子版で復刻する事業をコツコツやり続けているのだ。現在アドレナライズが取り扱っている作品は、なんと約1300点。年間160点以上を出版し続けてきた計算になる。
出版ニュースの読者諸氏には改めて説明するまでもないことだが、2015年施行の改正著作権法によって、物理(1号)と電子(2号)の出版権は別々に設定できるようになった。しかし、それ以前の契約が電子出版に対応していない場合、出版者が電子版の権利を保持するためには、契約書をまき直す必要がある。継続出版されていないのに、品切重版未定という半端な状態で出版者に権利を保持したままにする出版業界の慣習が、通用しないのだ。
そこへアドレナライズのような第三者が、著者に「過去に出版した紙の本を、電子化しませんか?」と提案を持ちかけているわけだ。法的にも、契約的にも問題がないとしても、出版者からすると「獲られた」と感じられる可能性がある。実際、井手氏は「あとでどうなっても知りませんよ!」などという苦情の電話を受けたこともあったらしい。
ただ、そもそも、キンドル・ダイレクト・パブリッシングや楽天コボ・ライティングライフなど、著者が自ら出版者となることができる時代だ。はっきり言って、電子の権利を確定せず、塩漬けにして放っておいた元の出版社が悪い。ユーザーが検索したとき、すぐに買えるラインアップが古本しかなければ、著者には印税が入らないためメリットがない。そういう意味で、電子版に不熱心な出版社というのは、著者を不幸にしていると筆者は思う。
井手氏へのインタビューをHON.jp News Blogで記事にしたところ、アドレナライズが復刻した電子版への感謝の意や、マメにリツイートする様子などから「まさか1人でやっているとは!」と驚嘆する声、「お世話になりました」という著者の声、同業他社の感心する声など、多くの良い反響がツイッターなどで確認できた。埋もれている作品や忘れられた名作を、パッケージを電子に変えて提供することにより、ふたたび世に送り出すことの意義が再確認できたと言えるだろう。
一般的な取次流通の紙の出版物と異なり、電子出版は実際に売れなければ、売上にならない。そこが事業モデルとして辛いところだ。それをカバーするには、どうしても一定以上の作品数が必要になる。ただ、紙の出版物は売れなければ返本され1カ月程度で書店から姿を消してしまうのに対し、電子出版物は無限に等しい棚で売られ続ける。
筆者が理事長をやっているNPO法人でも、これまで100点以上を電子出版しているが、クリス・アンダーソンが提唱した「ロングテール」は正しかったことを実際の数字として確認している。つまり、下位80%の売上を合計すると、上位20%の売上合計に匹敵するのだ。そういう売れ方をすることを理解した上で、電子出版をうまく活用することがこれからの時代には求められる。