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本稿は、筆者がここ数年、大学の非常勤講師として講義している内容を、テキスト化して連載形式で公開するものです。デジタル出版の歴史、現状、課題、生産・流通・利用といった過程について、解説を試みます。
【目次】
プロローグ
デジタル出版50周年
ある朝、インターネットブラウザ「Google Chrome」を開き、RSSリーダー「Feedly」で日課のニュースチェックをしていたら、アメリカの電子図書館「Project Gutenberg」が50周年を迎えたというニュースが目に留まりました1INTERNET Watch「予想より長い歴史が!? 世界初の電子書籍の公開から今月で「50周年」を迎える【やじうまWatch】」(2021年12月6日)
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1371759.html。
私は大学の非常勤講師として、デジタル出版論やデジタル編集論といった講義を担当しています。授業の中で日本の電子図書館「青空文庫」について説明する際、先行事例として「Project Gutenberg」にも触れてきました。ずいぶん昔からあったことは認識していたのですが、50周年とは! びっくりです。
よくよく考えてみると、「世界初のパーソナルコンピューター」と呼ばれているMITS社 「Altair 8800」は1974年の発売です2コンピュータ博物館「誕生と発展の歴史」
https://museum.ipsj.or.jp/computer/personal/history.html。つまり、世界初のデジタル出版は、世界初のパソコンが世に出る3年前から行われていたのです。歴史の重みを感じさせられます。
世界初のデジタル出版とは?
では、その当時行われたデジタル出版とは、どのようなものだったのでしょうか? 疑問に思った私は、「Project Gutenberg」の歴史について綴られたテキストをいくつか参照してみました3Michael Hart「The History and Philosophy of Project Gutenberg」
https://www.gutenberg.org/about/background/history_and_philosophy.html
Marie Lebert「Project Gutenberg (1971-2008)」など
https://www.gutenberg.org/ebooks/27045。創設者はマイケル・ハートさん。当時、イリノイ大学の学生でした。
彼は、学内にある材料研究所の大型コンピューターへ長時間4“$100,000,000 of computer time”つまり「1億ドルのコンピューター時間」と記述されている。恐らく1億ドル相当の利用時間と思われる。マイクロソフトの共同設立者ポール・アレンの自伝『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』によると、当時の大型コンピュータ(メインフレーム)は、タイムシェアリングシステムによって「1時間いくら」で多くの人に共用されていた。ポールは使いすぎて利用料が月78ドル(いまの500ドルくらい)に達し「さすがに青ざめた」そうだ。アクセスできる権限を与えられ、アメリカ合衆国独立宣言を入力5Project Gutenberg「The Declaration of Independence of the United States of America by Thomas Jefferson」(1971年12月1日)
https://www.gutenberg.org/ebooks/1。その5KBの「eText」ファイルを、当時ネットワークに繫がっていたユーザー100人に送信しようとしたそうです。
ところが当時のネットワーク環境では、たった5KB×100人であっても莫大な負荷がかかります。システムがクラッシュする恐れがあると止められました。そこで彼は、その「eText」ファイルがどこに保存されているかを連絡。6人のユーザーがダウンロードしたそうです。これが「Project Gutenberg」の始まりです。
それはデジタル出版なのか?
私がこのエピソードを「世界初のデジタル出版」と呼ぶことに、違和感を覚える方もいるかもしれません。マイケル・ハートさんが2011年に亡くなられた際、ニューヨーク・タイムズは「電子書籍のパイオニア」6 The New York Times「Michael Hart, a Pioneer of E-Books, Dies at 64」(2011年9月8日)
https://www.nytimes.com/2011/09/09/business/michael-hart-a-pioneer-of-e-books-dies-at-64.html、ガーディアン紙は「電子書籍の発明者」7The Guardian「Michael Hart, inventor of the ebook, dies aged 64」(2011年9月8日)
https://www.theguardian.com/books/2011/sep/08/michael-hart-inventor-ebook-diesという追悼記事を出しています。少なくとも ebook あるいは eText の起源であることは、世の中から認められているようです。
では「出版」についてはどうか? デジタル出版という言葉からは、どうしても「紙に印刷・製本された書籍や雑誌の電子版」という発想をしがちでしょう。紙の模造品、いわゆる「プリント・レプリカ」です。しかし「出版」という行為の本質は、「著作物を複製して頒布」することです8本稿での「頒布」は「有料・無料を問わず広く配って行き渡らせること」という意味で用いている。つまり「有料の販売」と「無料の配布」を包摂する言葉という認識だ。ところが辞書によっては、「無料の配布」あるいは「実費で売る」ことのみを指す言葉として扱われている場合もあるため、注釈しておく。。
マイケル・ハートさんは、ただ単にテキストファイル(eText)を作成しただけではありません。その保存場所を100人に連絡、6人がそのコピーを持っていった――つまり、「著作物を複製して頒布」しています。私はこれを、立派な「出版」行為と考えます。つまり2021年は、デジタル出版50周年だったのです。
「著作物を複製して頒布」という本質は同じ
本稿の冒頭で私は、ニュースをチェックする際に使用したツールとして、インターネットブラウザの「Google Chrome」と、RSSリーダーの「Feedly」を挙げました。これらは情報端末「パソコン」に搭載されたオペレーティングシステム「Windows」の上で動いているアプリケーションです。「マウス」や「キーボード」などで操作し、その結果が「ディスプレイ」や「スピーカー」などに出力されます。
私が読んだ「Project Gutenberg」50周年のニュースは、株式会社インプレスが運営する「INTERNET Watch」というウェブメディアの記事です。そこが配信している「RSS」(Rich Site Summary あるいは Really Simple Syndication)というXML形式のファイルを、インターネットを経由して受信しています。こうやって具体的にプロセスを記述すると、なんだかずいぶん複雑そうに見えます。
いや、どうやって動いているのか、実は私も理解できていないことが大半なので、実際のところ本当に複雑なのでしょう。永田希さんが言うところの「ブラックボックス」です9永田希『書物と貨幣の五千年史』(集英社・2021年)
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721183-2。しかし、「著作物を複製して頒布」という本質は、マイケル・ハートさんが「Project Gutenberg」を始めた50年前と変わっていません。つまりこのウェブニュースも、デジタル出版の一種なのです。
いまや誰もがデジタル出版している
さらに言えば、私はこの記事を読んだあと、ソーシャルネットワーキングサービスの「Twitter」へ投稿しました。この行為も、文章の長い短いはさておき、デジタル出版の一種であることに変わりはありません。つまり、いまや誰もが日常的に、デジタル出版している時代なのです。
科学技術は、この50年間で激しく進化してきました。本稿では、そういったデジタル出版の歴史を踏まえた上で、現状や課題、生産・流通・利用といった過程について、解説を試みます。私がここ数年、大学の非常勤講師として講義している内容を、テキスト化して連載形式で公開するものです。
内容的には、2022年度(予定)の明星大学人文学部日本文化学科「デジタル出版論」に準拠しています。主な対象として念頭に置いているのは大学3年生と4年生ですが、社会で汎用的に役立つ内容を意識しています。そのため、もっと上の世代の方が読んでも、きっと役に立つ内容だと思います。