私権の保障を規範化した中国民法典(前編)――施行までの道のりとその意義

馬場公彦の中文圏出版事情解説

中华人民共和国民法典(全文)
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 中国で今年から施行された民法典は、メディア企業にどのような影響を与えるのでしょうか? おなじみ、北京大学・馬場公彦氏によるレポートです。前中後編でお届けします。

[1]本稿執筆にあたって、民法典条文は『中華人民共和国民法典』(中国民主法制出版社・2020年)に依拠し、条文の引用に当たっては、小田美佐子・朱曄「中華人民共和国民法典」『立命館法学』390・391号、2020年の邦訳に依拠した。民法典全般の関連書として彭誠信主編・陳吉棟副主編『民法典与日常生活』(上海人民出版社・2020年)を参照しており、民法典の歴史的経緯や一般的事実については逐一参照個所を明示しない。さらに日本貿易振興機構(ジェトロ)北京事務所主催のセミナー「中国初の法典――「民法典」の要点解説」(講師は北京市大地法律事務所所属の弁護士・熊琳)を参照した。

中国建国初の民法典を施行

 本年2021年1月1日、中国で建国以来初となる民法「中華人民共和国民法典」(以下「民法典」と称す)が施行された。それまで相続・契約・担保・物権など民事に関わる個別法はあったが、それらを総合し体系化した民法は、編纂の試みは何度かあったものの、かつて成立したことはなかった。民法典は中国では日常生活の法律の百科全書、民事権利の宣言書とも称されている[1]

 中国は社会主義体制下での共産党独裁による権威主義国家というお国柄から、公法や国家政策やイデオロギーばかりが全面に出ている印象が強い。遅ればせながらではあるものの、中国において民事の諸規則や私権が具体的に規範化・明文化されたことの意義は極めて大きい。

 そこで本稿は3部構成とし、前編では民法典発布の経緯と意義から民事規範の実態を見ていくことにする。とりわけ、今次の民法典においては、他国の民法体系に先駆けて独立して1編を設けて「人格権」についての詳細な条文が明記されている。

 中編ではその人格権について、条文に即して内実を検討する。人格権は契約編と併せて、われわれメディア界の法人あるいは自然人にとって、民法典の及ぼす影響は大きく、実際に中国のメディア関連企業は、新たな対応に迫られている。後編ではメディア界に関わる問題として、人格権・契約・権利侵害の関連条項に絞り込んで、業界にとっての民法典の意義について考えてみよう。

認知度の低い民法典

 日本ではそもそも民法典施行について報道自体が少なく、朝日新聞のバックナンバーを検索しても関連記事は見当たらなかった。せいぜいのところ居住権制度の新設や、離婚申請にあたっての冷静期間(クーリングオフ)30日間の設定など、個別条文の話題性に焦点を当てた記事が散見される程度である[2]

 新型コロナウイルスの蔓延により全国人民代表大会(以下、全人代)の開催が延期されて、2020年5月22日に開幕された第13期全人代第3回会議で民法典が審議された。そのさい全人代では同時に香港特別行政区の国家安全維持法も審議されていたため、国際的な関心はそちらに集中してしまったことが、報道が乏しい背景にあろう。

 中国国内においても、全人代開催から閉幕にかけての1週間ほどは、関連の報道はあったものの、これほど画期的な法典でありながら、報道は控えめだったように見受けられる。施行された2021年1月1日以降は、中央電視台(CCTV)の新聞聯播(聯合ニュース)を観る限り、報道すらなされていない。

 全人代第三回会議が開催された際の聯合ニュースでは、全人代副委員長王晨が「民法典の編纂は、中国の特色ある社会主義制度を堅持し整備するために実際に必要なものであり、全面的に『依法治国』を進め、国家のガバナンスの体系と能力の近代化を進める措置であり、社会主義の基本的な経済制度を堅持し整備し、経済の高品質の発展を進めるために客観的に必要なものであり、人民の福祉を充実し最も広範な人民の根本的な利益を維持し保護するために必然的に必要なものである。」との説明を加えた(2020年5月22日放送。引用は「新聞聯播」ウェブ版のテキストによる、以下同じ)。

 また、民法典編纂の審議に当たった憲法と法律委員会のメンバーたちの声として、「民法典は中国で最初の法典と名づけられる法律で、重大で深遠な意義がある。民法典を編纂し、民事権の種類を充実し、いっそう整った民事権利体系を形成し、権利保護と救済の原則を整備し、有効な権利保護のメカニズムとなる規範を形成することは、中国の特色ある社会主義法律体系を健全に整備し、国家のガバナンスの体系と能力の近代化を進め、法治の根本を固め、持続可能にし、長期的利益を保障することを助け、人民の利益をよりよく維持保護し、人民大衆の充実・幸福・安心の実感をたえず豊かにし、人間の全体の発展を促すことをも助ける」と伝えている(同年5月25日放送)。

“中国はしょせん法治ではなく人治の国、どうせ人民はイデオロギー統制でがんじがらめにされ、公人としてのふるまいばかりを押し付けられていて、私権は著しく制限されているのだろう”――といった色眼鏡だけで見ていては、この国の実情を見誤る。

 「依法治国」という中国共産党が掲げるスローガンは、うわべを飾るだけの単なる原則論の提示ではない。じっさいに民法典の条文に当たってみると、そこに体現された私人(自然人)としての活動空間の広がりや私権の保障の内実は、われわれ自由主義国と、さほどの径庭があるようには感じられない。

民法典施行にいたる道

 近代以降、中国が民法を制定するには長い経緯があった。古くは清朝末期の1902年に光緒帝が列強の法体系を模倣して制定するよう上諭じょうゆを頒布し、1911年に「大清民律草案」が編まれたものの、清朝滅亡で頒行されなかった。

 中華民国時代の1929年から1930年にかけては、南京国民政府が「中華民国民法典」5編1225条を公布した。中華人民共和国成立後は、1954年・1962年・1979年・2001年の4回に渉って民法典制定の試みがなされてきた。その間、9法の個別法が制定されてはきたものの、民法典そのものは制定されずにきた。

 今回、昨年2020年5月28日、第13期全人代第3回会議において憲法と法律委員会での10回の審議を経て民法典が採択され、習近平国家主席が署名して公布され、本年1月1日より施行されるに至った。この民法典を制定といわず編纂と称するのは、先述した現行の民事法律規範である関連個別9法を単純に集成するのではなく、編集し改訂を加え刷新したからである。

 9法とは民法通則・民法総則・物権法・担保法・契約法・権利侵害責任法・婚姻法・相続法・養子縁組法で、これらは民法典施行と同時に廃止された。既存の9法のなかの現状に適応しないものを修正し、時代の新たな要素を取り入れたのである。なお、民法関連の現行の渉外民事関係法律適用法・特許法・商標法は引き続き有効であり、われわれとかかわりの深い著作権法も昨年、3度目の修正が施され有効である。

 民法典体系の中で、新時代の特色を最も強く反映した部分が、増設された人格権である。そこには情報通信技術の飛躍的発展を背景とした個人情報保護も含まれおり規範化されている。民法典体系の中で人格権を独立して明文化しているのは、日本のみならず先進国においても見当たらない。

民法典の構成と基本精神

 民法典は全7編1260条からなる、現行の中国法のなかでは最大の法典である。民事の適用範囲として、第2条に「平等な主体である自然人、法人及び非法人組織間の人身関係と財産関係を調整する」と明確に設定されている。7編とは総則・物権・契約・人格権・婚姻家庭・相続・権利侵害責任である。

 総則には第4条から第9条にかけて、民法典の精神ともいうべき6つの基本原則が掲げられている。即ち、平等原則、意思自由の原則、公平原則、信義誠実の原則、法律・公序良俗遵守の原則、資源環境配慮の原則である。6項の基本原則は裁判官にとって法の網を補う常用ツールとされており、法の司法解釈において、常に依拠すべきものとされている。

 最後の資源環境配慮の原則は全く新たに提示された「緑色原則」とよばれるもので、第9条「民事主体が民事活動に従事するとき,資源の節約・生態環境の保護に寄与しなければならない。」とある。緑色原則については権利侵害責任の第7章「環境汚染及び生態環境破壊」に7条にわたって明文化されているが、具体的な内容と運用方法については、今後の訴訟や判例に注視するほかなく、まだよくわからない。

 ただ中国は習近平国家主席が国連で2060年までに実質二酸化炭素排出をゼロにすると演説するなど環境保護に力を入れており、最近のニュースでも環境関連は必ず毎日のように報道されており、「緑水青山就是金山銀山(澄んだ水と緑豊かな山は金山と銀山)」という標語をよく耳にする。

 なお、第1条は立法の目的として「民事主体の合法的な権利利益の保護,民事関係の調整,社会と経済の秩序の維持,中国的特色のある社会主義の発展への適応,社会主義核心的価値観の発揚のために,憲法に基づき本法を制定する。」とあり、国家のイデオロギーと価値観を色濃く反映したものとなっている。

 この条文をもって、民法典それ自体が習政権の「社会主義核心的価値観」の発揚を目的としたものと見る向きもあるようだが[3]、「ソビエトロシア民法典」以来の社会主義国家立法の慣例に倣ったにすぎない[4]。実は民法典の中で「社会主義」という用語は、この第1条のほかには、第206条「社会主義基本経済制度の維持」に出るのみだ。民法典は私法・私権の根本法典であるという性格によるものであろう、政治性・イデオロギー性は表に出てはいない。

私権空間の独立性・自立性

 民法典第10条「紛争解決の根拠」では「民事紛争を処理するとき,法律に従わなければならない。法律に規定がない場合は,慣習を適用することができる。但し,公序良俗に反してはならない。」と、法解釈においては法規定のない法源として公序良俗原則に反しない慣習が根拠として援用されると明記されている。

 重要なことはこの第10条成立の過程において、もとの「民法通則」第6条には法源として明記されていた「国家政策」が、削除されたことである。その理由は、政策は立法機関が立法手続きに基づいて規範化するもので、現行法の施行前は規範性と国家強制性はなかったことから、法廷裁判では引用できないし、判決の根拠とすることはできないため、ということだ[5]

 「依法治国」というスローガンは、とりわけ今の習近平政権下でよく使われ、厳格に実行されており、今回の民法典編纂・公布においても強調されている。だからといって西側諸国のような、あるいは西洋の民主主義の定義にあるような、三権分立のもとでの法治が前提にはなっていない。

 法解釈を行う最高人民法院や最高人民検察院などの司法機関にせよ、全人代などの立法機関にせよ、中国共産党の指導・監督・人事の下に置かれている。とはいえ、この民法典の法源の発想には、「私権」の及ぶ範囲の民事に限定してはいるが、行政機関との分立とまでは言えないかもしれないが、区分けのようなものが目指されているように思う。
 

民法典の中国的特色

 虚心坦懐に民法典1260条の条文を眺めてみると、長文ということもあって、内容は明快かつ具体的で、中華人民共和国憲法のような、お国柄を思わせる政治的イデオロギー的な臭みは意外に少ない。民事に関わる生活人の日常感覚に寄り添っていて、われわれ日本人の法感覚からしても違和感はほとんどない。

 とはいいながら、そこにまったく中国的特色がないわけではない。先述した独立して編を新設した人格権と、6原則の1つにかかげた緑色原則などは、時代潮流に適応した法体系を他国に先駆けて取り入れたものである。

 そのほか、第2編の物権の第2部所有権において、所有権を国家所有権・集団所有権・私人所有権の3つに区分したうちの、集団所有権に関する第260条から第265条は、農村における農民の集団所有地の動産・不動産についての記述で、日本にない概念であるだけに分かりにくい。

 とりわけ改革開放政策がとられ、農村での土地請負制度が施行されてから、集団所有地の所有権・経営権・請負権が分かれたことでいっそう事情は複雑になっている。民法典では集団所有地の土地の流動性を合理的に処理するため、第330条から第343条で土地請負経営権を条文化し、この3要素の「三権分置」を法制化することで、当事者主体の利益の確保と農業生産の近代化を促そうとした。

 また物権の民事責任において、故人である英雄烈士に人格権を設定しているのもお国柄である。第185条「烈士等の人格利益の保護」に「英雄烈士等の氏名・肖像・名誉・栄誉を侵害し,社会公共の利益に損害を与えた場合は,民事責任を負わなければならない。」とある。

注記

[2]「中国初の民法典成立へ、居住権を明記 離婚取り消し期間も」(日本経済新聞・2020年5月27日)、高橋史弥「離婚に『クーリングオフ期間』義務付け、中国でまもなく実施へ。“衝動的な離婚を防ぐ”本当に効果ある?」(ハフポスト・2020年12月3日)など。なお、離婚クーリングオフの関連条項は第1077条の次の条文。「婚姻登記機関が離婚登記の申請を受理した日より30日以内に,いずれかが離婚を翻意したときは,婚姻登記機関に離婚登記の申請の撤回を求めることができる。 前項の規定する期間満了後30日以内に,双方は自ら婚姻登記機関に赴き離婚証書の交付を申請しなければならない。申請しないときは,離婚登記申請の撤回とみなす。」(小田美佐子・朱曄訳、以下訳者表示は略)。この条文を新たに制定する立法者の狙いとしては、昨今の離婚率を下げる意図があるという。
[3]荒井利明「建国から70年余りでようやく 民法典と中国の価値観」(産経新聞・2020年6月16日)
[4]彭誠信ほか前掲書、総則1(電子書籍での閲読のため、該当ページではなく目次にて引用個所を表示する)
[5]彭誠信ほか前掲書、総則2

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著者について

About 馬場公彦 32 Articles
北京外国語大学日語学院。元北京大学外国語学院外籍専家。出版社で35年働き、定年退職の後、第2の人生を中国で送る。出版社では雑誌と書籍の編集に携わり、最後の5年間は電子出版や翻訳出版を初めとするライツビジネスの部局を立ち上げ部長を務めた。勤務の傍ら、大学院に入り、国際関係学を修め、戦後の日中関係について研究した。北京大学では学部生・大学院生を対象に日本語や日本学の講義をしている。『人民中国』で「第2の人生は北京で」、『朝日新聞 GLOBE』で「世界の書店から」連載中。単著に『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』法政大学出版局、『戦後日本人の中国像』新曜社、『現代日本人の中国像』新曜社、『世界史のなかの文化大革命』平凡社新書があり、中国では『戦後日本人的中国観』社会科学文献出版社、『播種人:平成時代編輯実録』上海交通大学出版社が出版されている。
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