私権の保障を規範化した中国民法典(中編)――人格権 新設の背景とその中身

馬場公彦の中文圏出版事情解説

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 中国民法典に新設された「人格権」とはどのようなものなのか? おなじみ北京大学・馬場公彦氏によるレポート中編です。前編はこちら

独立して設けられた人格権

 今回民法典全7編のうち独立の1編が設けられた全50条からなる人格権については、全く新たに法制化されたこともあり、その内容や運用について、中国内外の関心は高い。とりわけ日系の中国現地法人企業や、中国企業と取引のある日本企業は、たとえば従業員に対するハラスメント行為について、訴訟の責任追及のリスクを避けるためにも、社内規定にどう反映させればいいかといった切実な問題に直面する。

 あるいはメディア関連企業に限ってみても、プライバシー権や肖像権が人格権の中に法制化されたことにより、たとえば個人情報の漏洩や写真やビデオでの一般人の映り込みなどにどう対処すればよいか、法務対応を迫られる。

 「人格権」という概念が明文化されたのは、民法典が審議された第19期全人代の報告が初めてで、収穫されたばかりの土混じりの根菜のようなものである。とはいえ、条文は全面的かつ詳細なもので、少なくとも人格権というものを体系化して法制化してみせた先例として、歴史的意義は高い。そもそもつい先ごろまでは、プライバシーという言葉(「隠私」、プライバシー権は「隠私権」)もそれに相当する概念もなかった中国である。

 プライバシー権がその定義や保護規定を明確にされないまま初めて法律に盛り込まれたのは2017年の「民法総則」第110条で、それまでは名誉権の概念でプライバシー保護を法的に処理してきた[6]。いま新興の高度な通信技術が急速に発達・普及し、プライバシーどころか個人の遺伝情報を含むあらゆる個人情報にまで、一分の隙もなく入り込めるような時代となった。

 ”プライバシーという言葉もなかったような社会だから、個人情報やプライバシー保護の意識は低いだろう、そもそも監視社会だから、個人情報には鈍感で、筒抜けになっても無頓着だろう”などと早合点しようものなら、とんでもない見当はずれである。

 個人情報が政府機関の管理に晒されている監視社会を黙認しているのは、それに見合った公的サービスの恩恵に浴しているというバランスシートがあってのことである[7]。たとえば私企業での個人情報への無制限のアクセスや定款で示された目的以外の利用、生活コミュニティでの個人情報の取り扱いなどについては、日本社会と同様の厳しいルール感覚がある。

 実は伝統的な民法典体系にはなかった人格権の法制化に当たっては、立法関係者のなかで激烈な争論があった。争点は人格権が重要か否かということではなく、社会の発展に伴って人格の尊厳を維持し人格権を保護するために民法典に人格権の規範を組み込む必要があるという支持派と、人格権とはそのほかの民事権とは違ってアプリオリなものであり法律の論理を使って規範化することはできないものだという反対派との間の論争であった[8]

人格権のさまざま(1)――生命権・身体権・健康権

 人格権には民事主体が享有する、生命権、身体権、健康権、氏名権、肖像権、名誉権、栄誉権、プライバシー権等の権利がある(第990条)。その主な内容と注目すべき論点を個別に見ていこう。

 生命権・身体権・健康権のなかには、献体は自由意思によること(第1006条)、臓器等の売買禁止(第1007条)とならんで、遺伝子等の研究時の遵守事項(第1009条)として「人体の遺伝子・人体の胚胎等に関連する医学及び科学研究活動に従事するときは,法律,行政法規及び国の関連規定を遵守しなければならならず,人体健康の危害,倫理道徳の違反,公共の利益の損害をしてはならない。」とある。

 この条文化の背景には、2018年11月、中国の科学者が学会で受精卵にエイズの免疫効力のあるゲノム編集を施した双子の赤ちゃんを誕生させたことを公表したことが国際的な激論を巻き起こし、その科学者は刑事訴追を受けた事件があった。それまでも遺伝子や受精卵の編集には明確に規定した関連法はあったが、今回は生命・身体・健康に関わる生命倫理問題へと昇格させたのである[9]

 さらにセクハラ被害者の請求権等(第1010条)についても「他人の意思に反し,言語,文字,画像,身体的行為等の方式によって他人にセクハラを行ったときは,被害者は,法に従い行為者に民事責任を負うよう請求する権利を有する。機関,企業,学校等の組織(原語は単位)は,合理的な予防,告発の受理,調査処理等の措置を講じなければならず,職権・従属関係等を利用して行うセクハラを防止,制止しなければならない。」と設定されている。中国では2005年に「婦女権益保障法」が修訂されたが、そこでは肉体的な性暴行にたいする処罰規定に留まっていた[10]
 

人格権のさまざま(2)――肖像権

 肖像権については、第1018条で「自然人は肖像権を有し,法に従い作成・使用・公開し,又は他人による自己の肖像の使用を許可する権利を有する。肖像とは,映像・彫刻・絵画等の方式により,一定の媒体上に反映させた特定の自然人を識別できる外在的形象である。」と定義されている。この後半の条文の含意は、保護すべき肖像は頭部に限らないということで、たとえば美容整形外科で患者の局部写真を本人に無断で宣伝広告に利用するのは肖像権侵害になる。

 続く第1019条肖像権の保護では「いかなる組織又は個人も醜悪化,汚損又は情報技術の手段による偽造等の方式によって他人の肖像権を侵害してはならない。肖像権者の同意を得なければ,肖像権者の肖像を作成・使用・公開をしてはならない。但し,法律に別段の定めがある場合を除く。肖像権者の同意を得なければ,肖像作品の権利者は発表,複製,発行,賃貸,展示等の方式によって肖像権者の肖像を使用又は公開してはならない。」とある。「情報技術の手段による偽造等の方式」とは、アプリを使った画像加工やAIによる顔面すり替え技術によって、本人の名誉を傷つけるような行為を指す[11]

 保護規定の次の条文に無許可使用のケースが列記されている。全5項目のうち、2項目を引用すると、「(1) 個人学習,芸術鑑賞,教室での講義又は科学研究のために,肖像権者がすでに公開している肖像を必要な範囲内において使用すること。」「(2)新聞報道を行うために,不可避的に肖像権者の肖像を作成・使用・公開すること。」とあり、教育現場や学術研究、あるいは公共放送や報道では除外されている。中国のテレビ放送で群衆の顔かたちが映り込むのは、肖像権処理をしなくても免責されるケースということだ。

人格権のさまざま(3)――プライバシー権と個人情報保護

 人格権のうち最も興味深いのはプライバシー権で、個人情報保護関連の条文もここに盛り込まれている。プライバシー権とは何か。第1032条で「自然人はプライバシー権を有する。いかなる組織又は個人も,詮索,騒擾,暴露,公開等の方式によって他人のプライバシーを侵害してはならない。プライバシーとは,自然人の個人生活の安静及び他人に知られたくない個人空間,個人活動,個人情報である。」と定義されている。

 いまやミニカム・望遠カメラ・マイクロICレコーダー・盗聴器などの製品開発と商業化によって、この「個人空間」は脅威にさらされている。盗聴・盗撮などによって個人空間に無断で侵入されるだけでなく、SNS等で公開される危険性もはらんでいる。そこで続く第1033条ではプライバシー権保護のために、権利者の同意なしに次の6種の行為をプライバシー侵害として禁じている。

(1)電話,ショートメッセージ,インスタントメッセンジャーツール,電子メール,ビラ等の方式によって他人の個人生活の安静を騒擾すること。(2)他人の住宅・ホテルの部屋等の個人空間を侵入,撮影,覗くこと。(3) 他人の個人活動を撮影,覗き,盗聴,公開すること。(4)他人の身体の私的部分を撮影し,覗くこと。(5)他人の個人情報を処理すること。(6)その他の方式によって他人のプライバシー権を侵害すること。[12]

 デジタルエコノミーの時代となって、個人情報はその多くは当人のあずかり知らぬところで広範かつ綿密に収集され、ビッグデータ化され、クラウドコンピュータやAI技術を使ってアルゴリズム処理され、商業・経済活動に利活用されている。そのようななかで人身の自由と人格の尊厳をどう維持保護するかの必要に迫られている。

 民法典ではプライバシー権に続いて6条の個人情報保護に関する詳細な規範化がなされている。個人情報とは何か。第1034条で「個人情報とは,電子的に又はその他の方法で記録した単独又は他の情報と組み合わせて特定の自然人を識別できる各種の情報である。自然人の氏名,生年月日,身分証明書番号,生体認証情報,住所,電話番号,電子メールアドレス,健康状態,個人の所在に関する情報等が含まれる。個人情報の中のプライベートな情報は,プライバシー権の規定を適用する。規定がない場合は,個人情報保護に関する規定を適用する。」と定義されている。

 そして続く第1035条で、個人情報処理に当たっては「当該自然人又はその後見人の同意を得ること」、第1037条で「自然人は……情報に誤りがあることを発見した場合は、意義を唱える権利を有し、かつ遅滞なく修正を行う等の必要な措置を請求する権利を有する」こと、第1038条で、「情報処理業者は収集・保管する個人情報を漏洩又は改竄してはならない。自然人の同意を得ることなく,個人情報を他人に不法に提供してはならない。」と、個人情報の自決権をうたっている[13]

 なお個人情報の保護規定については総則の第111条においても自然人の民事権として条文化されている。また同じく総則での民事権として、第127条においてデータ・仮想財産の保護についても明文化されている。

注記

[6]彭誠信ほか前掲書、人格権27
[7]このあたりの問題意識については梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書・2019年)、藤井保文『アフターデジタル2 UXと自由』(日経BP・2020年)などから示唆を得ている。
[8]彭誠信ほか前掲書、人格権26
[9]彭誠信ほか前掲書、人格権29
[10]彭誠信ほか前掲書、人格権28
[11]彭誠信ほか前掲書、人格権31
[12]彭誠信ほか前掲書、人格権27
[13]彭誠信ほか前掲書、人格権30

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著者について

馬場公彦
About 馬場公彦 21 Articles
北京大学外国語学院外籍専家。出版社で35年働き、定年退職の後、第2の人生を中国で送る。出版社では雑誌と書籍の編集に携わり、最後の5年間は電子出版や翻訳出版を初めとするライツビジネスの部局を立ち上げ部長を務めた。勤務の傍ら、大学院に入り、国際関係学を修め、戦後の日中関係について研究した。北京大学では学部生・大学院生を対象に日本語や日本学の講義をしている。『人民中国』で「第2の人生は北京で」、『朝日新聞 GLOBE』で「世界の書店から」連載中。単著に『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』法政大学出版局、『戦後日本人の中国像』新曜社、『現代日本人の中国像』新曜社、『世界史のなかの文化大革命』平凡社新書があり、中国では『戦後日本人的中国観』社会科学文献出版社、『播種人:平成時代編輯実録』上海交通大学出版社が出版されている。
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