本の複製は長年、手で書き写すことだった ―― デジタル出版論 第1章 第3節

デジタル出版論

デジタル出版論
noteで書く

《この記事は約 8 分で読めます(1分で600字計算)》

出版とはなにか?

 ふたたび言葉の定義に戻ります。デジタル出版の「出版」とはなんでしょうか?

 精選版日本国語大辞典(小学館)によると、「出版」とは「印刷術その他の方法によって著作物を文書・図画などとして複製し、発売または頒布すること。版行。印行。刊行。」です。

 この定義は「その他の方法」に含蓄があります。ここは、行政文書や法律の条文だと「等」と書くところです。つまり、印刷だけでなく、電子出版なども含めている、という意味が込められているのでしょう。

 もう少し抽象度を上げると、「情報を複製して伝達する手段」あるいは、プロローグで記述した「著作物を複製して頒布」となるでしょう。つまり、出版物は情報伝達の媒体、メディアの一種です。もっと言えば、コミュニケーションの道具なのです。

演説も出版(publishing)の一種

 そのコミュニケーション、人から人へ情報を伝達する手段の歴史についても、少し振り返ってみましょう。原始人類のコミュニケーションは、鳴き声・表情・身振り・手振り・接触といった動物的な表現から始まります。

演説の練習をするデモステネス
「演説の練習をするデモステネス」
 言葉の誕生によって口述伝承の時代へ変わります。古代ギリシャやローマでは雄弁術とか弁論術といった演説の技術が磨かれ、後世へ伝えられました。この絵画は「演説の練習をするデモステネス」です1Wikimedia Commonsより(ジャン=ジュール=アントワーヌ・ルコント・デュ・ヌイ「演説の練習をするデモステネス」、パブリックドメイン)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:D%C3%A9mosth%C3%A8ne_s%27exer%C3%A7ant_%C3%A0_la_parole_(1870)_by_Jean-Jules-Antoine_Lecomte_du_Nou%C3%BF.jpg
。大勢の聴衆へ向けて、身振り手振りを交えながら、大きな声で雄弁に語る練習をする様子が描かれています。

 これは、初期のマス・コミュニケーションと言えるでしょう。そういった技術が求められていたわけです。多くの人へ情報を伝えるという意味では、これも出版、publishing の一種です。

文字の誕生

 文字や記号が生まれるまでは記録する術がないので、語ることも、語られたことも、とにかく覚えておくしかありません。だから、記憶術が尊ばれていました2ダニエル・ブアスティン『本はいつごろから作られたか 大発見④』p136~(集英社・1991年)。ただ、人間の記憶は意外とアテになりません。忘れてしまったり、脳内で記憶が捏造されることもあります。

 文字が誕生したのは紀元前4000年ごろと言われています3諸説あるようだが、松岡正剛監修『情報の歴史21』p39(編集工学研究所・2021年)ゼンド石文(前エジプト象形文字)の記述に沿った。粘土板に刻み込んだり、壁に描いたり、パピルスに書いたりと、記憶ではなく、記録に残せるようになりました。情報を記号化し自らの意思で後世に残せることは、人間と他の動物の大きな違いの一つではないでしょうか。

 ところが、古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、書き言葉は話し言葉に劣ると考え、著述を一切残さなかったそうです4メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』p109~(インターシフト・2008年)。しかし、そのソクラテスの言葉を弟子たちが書き残したことにより、紀元前4世紀に語られたことが現代まで伝えられることになったのです5プラトン『ソクラテスの弁明』『パイドロス』など、クセノポン『ソクラテスの思い出』『饗宴』など

 記録に残すようになることで、書物が生まれます。西洋では、キリスト教修道院が図書館と出版所の役割を担っていました。ここで重要なのは、このころの本は書写、すなわち、手で書き写すことによって複製されていたことです。これも出版、publishing の一種です。

製紙法や印刷術の発明

 紙は、中国・前漢時代(紀元前2世紀ごろ)に発明されたと言われています。後漢時代(西暦105年ごろ)に蔡倫が改良した製紙法により、使いやすく実用的な紙が広まっていきました6日本製紙連合会「紙のあれこれ | 紙の歴史 | 紙の発明」
https://www.jpa.gr.jp/p-world/p_history/p_history_02.html
以前は蔡倫が紙の発明者とされていたが、近年の発掘調査によって、少なくとも前漢時代にはすでに紙が存在していたという物証が見つかっているようだ。
https://web.archive.org/web/20160304194151/http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/encyclopedia-j/7other/1washi/e___e04.html
。日本へは7世紀7日本製紙連合会「紙のあれこれ | 紙の歴史 | 日本への伝播」
https://www.jpa.gr.jp/p-world/p_history/p_history_04.html
、西アジアには8世紀、ヨーロッパには12世紀以降に伝播したようです8日本製紙連合会「紙のあれこれ | 紙の歴史 | 紙の伝播」
https://www.jpa.gr.jp/p-world/p_history/p_history_03.html

 印刷術は、7世紀に中国・唐で発明されます。木版印刷です。暦や経典などの印刷に活用されました9ダニエル・ブアスティン『本はいつごろから作られたか 大発見④』p172~(集英社・1991年)。13世紀半ばには朝鮮・高麗で金属活字の印刷も試みられましたが、漢字文化圏は文字種が多いため、結局は木版のほうが安上がりだったようです。日本は明治時代初期まで木版が主流で、木偏の「出板」「板元」などと表現されていました10橋口侯之介「成蹊大学講義レジュメ」(2013年)
http://www.book-seishindo.jp/seikei_tanq/
なお、同著者『和本入門』(平凡社・2005年単行本、2011年文庫)には「本屋仲間」ではなく「書物屋仲間」と記述されている。

 15世紀にヨハネス・グーテンベルクが発明した活版印刷術(活字の鋳造、プレス印刷機、インクなど)は、従来より短時間で飛躍的に多くの複製を生み出すことに成功します。文字種の少ないアルファベットとの相性も良かったようです。このことが、当時ヨーロッパで進行していたルネサンスや、宗教改革、科学革命を可能にしたとされています11大谷 卓史「過去からのメディア論 ルネサンスの書籍:印刷という革命」(2015年)
https://doi.org/10.1241/johokanri.58.643
。文字通り、印刷は革命をもたらしたのです。

 印刷技術の発達と、印刷物を運搬する物流網の発達により、16世紀の終盤には定期刊行物、雑誌や新聞が誕生します12ピエール・アルベール『新聞・雑誌の歴史』(斎藤めぐみ訳・白水社・2020年)。大衆に情報を伝達する媒体、すなわち、マス・メディアです。さらに、18世紀半ばから19世紀にかけては、印刷する機械を動かす動力源も飛躍的な進歩を遂げます。産業革命です。

「版」を作る工程の進化

写真植字機の文字盤
写研の写真植字機「PAVO-BL」で使われていた文字盤
 複製を生み出すための「版」を作る工程、いわゆる「組版」も、さまざまな形で改良されていきます。19世紀に発明された写真の原理を応用し、20世紀初頭には写真植字機が誕生します13モリサワ「文字の手帖 – 文字を組む方法 技術と方法(2)写真植字」(2008年4月3日)
https://www.morisawa.co.jp/culture/japanese-typesetting/05/
。いわゆる「写植」です。この写真は、その文字盤です14Wikimedia Commons より(撮影:FeZn、CC BY-SA 3.0)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shaken_subplate1.jpg?uselang=ja
。文字盤に光を通し、印画紙やフィルムに焼き付ける手法です。

 その写植による組版を、手作業ではなくコンピュータで行えるようにしたのが電算写植機です。出版の前工程が卓上で可能になったことから、デスクトップ・プリプレス(DTP)と呼ばれました。コマンドの羅列によって組版編集するので「バッチ組版」とか「コマンド組版」などとも呼ばれていたそうです。日本では1960年代、写研やモリサワといったメーカーによって開発され、普及していきました15モリサワ「文字の手帖 – 文字を組む方法 技術と方法(3)コンピュータ・上」(2008年7月30日)
https://www.morisawa.co.jp/culture/japanese-typesetting/06/

 それがさらに、画面上に表示された状態をそのまま印刷出力できるWYSIWYG(What You See Is What You Get)へと進化し、デスクトップ・パブリッシング(こちらもDTP)と呼ばれるようになりました。アルダス社がレイアウトソフト「PageMaker」を販売開始するとき提唱した概念ですが、当時それが実現できた端末は1984年に誕生したアップル社の「Macintosh」だけでした16脇英世「ページメーカーを作った男」(@IT自分戦略研究所・2009年3月5日、初出は2002年ソフトバンク パブリッシング『IT業界の開拓者たち』)
https://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/gyoukai/022/01.html

次へ

前へ

脚注

noteで書く

広告

著者について

About 鷹野凌 829 Articles
NPO法人HON.jp 理事長 / HON.jp News Blog 編集長 / 日本電子出版協会 理事 / 日本出版学会理事 / 明星大学 デジタル編集論 非常勤講師 / 二松学舍大学 編集デザイン特殊研究・ITリテラシー 非常勤講師 / デジタルアーカイブ学会 会員 / 著書『クリエイターが知っておくべき権利や法律を教わってきました。著作権のことをきちんと知りたい人のための本』(2015年・インプレス)など。
タグ: / / / / / /