文字の世界はいつだって、どこかフォーマル ―― 言葉を届ける前にしておきたい12のケア〈第1回〉

言葉を届ける前にしておきたい12のケア

言葉を届ける前にしておきたい12のケア

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 いまや誰かに言葉を届けることは簡単にできます。だからこそ、届ける前に気をつけておきたいことがあります。日々言葉と向き合う校正者の大西寿男さんによる連載第1回です。


 この世界には、2つの国があります。
 耳と口(オーラル)の国と、文字(書き言葉)の国です。
 望むと望まざるとにかかわらず、私たちは、言葉と文字なしに生きてはいけません。
 ――「文字の国のダンジョンで、私たちはいかにサバイブするか」
 この連載ではそのスキルを、校正の仕事を通して提案していきます。

第1回 文字の国のフォーマルくん

 文字の国では、たった一文字が大きな違いになることがあります。さて、どう違うでしょう?

【1】
a ちょっと、うれしくない。
b ちょっと、うれしくない?

【2】
a 変人たちの聖地
b 恋人たちの聖地

【3】
a いまなら、なんと1円でご提供!
b いまなら、なんと1万円でご提供!

【4】
a 10×10=20
b 10+10=20

【5】
a ボーズラブが社会を動かす
b ボーイズラブが社会を動かす

【6】
a まさかこんな所にメメクラゲが
b まさかこんな所に××クラゲが

 順番に見ていきましょう。

【1】の「うれしくない」は、aの怒っているような「うれしくない。」が、「?」が付くだけで、bの「うれしくない?」(=うれしいよね!)という肯定と共感のメッセージに変身します。

【2】は形の似た別の字のために、ロマンチックなはずの聖地がたいへんなことになっています(石坂洋次郎の『青い山脈』にも「私のヘン人・新子様」という有名な恋文がありましたっけ)

【3】は広告の世界ですが、aの「万」のように数字の単位がぬけ落ちて大損害、といったケースはじっさいにあったお話です。

【4】は計算してみると、bが正解。テストでは一文字が致命的。

【5】は「イ」が消えたために別世界に。新聞広告での誤りが話題になりました。

【6】のaは、記号の「×」がカタカナの「メ」にまちがえられたことから、謎の生き物が誕生、つげ義春の漫画『ねじ式』を不朽の名作にしました。

 ところで、これらがもし、みんな話し言葉だったら、どうでしょう?

「ヘンジンたちの……」
「なんとイチエンで……」

 声に出し、耳で聞けば、まちがえることもないし、たとえまちがえたって、すぐに誤りに気づきますよね。

 文字の国では、一文字の違いで人生が変わってくることだって、ありえます。

パンダみたい?

 もうひとつ、文字の国には、耳と口オーラルの国にはない特徴があります。それは、文字の国はいつだって、どこかフォーマル、ということ。

 カジュアルに言葉を発しても、なんだか、どこかあらたまって受け取られてしまう。どんなにプライベートなつもりでも、いつのまにかオフィシャルな発言に変換されている……。

 ふだんのメッセージのやりとりでも、こんな調子です。

 A――明日、どっち着てけばいい?
 B――どっちもいいんじゃない。
 A――やっぱ、こっちの白黒かな?
 B――パンダみたい。
 A――がーーーーん😱

 Bさん、答えるのが面倒くさくなったのか、つい、日ごろ思っていることがポロッと出てしまったみたいですね。「パンダみたい。」のひと言は、いつもの軽口だったのかもしれませんが、スマホの画面越しに活字(デジタル・フォント)で目にすると、冷たく突き放した感がかもし出されて、「がーーーーん😱」にAさんの動揺というか、ちょっと傷ついたという抗議が込められているようです。

 パンダみたい。
  ↓
 パンダみたい🐼

 句点「。」の代わりに絵文字を添えれば、少しは和らいだかもしれません。文字の国では、親密なニュアンスを伝えるのがけっこう難しいことがあります。

SNSも、文字の国

 たとえ相手が仲のよい友だちで、こちらがどんなにカジュアル&フレンドリーに発したつもりでも、文字になったとたん、言葉はどこかフォーマルなものを身にまといはじめます。

 SNSやグループチャットで、誰かのちょっとした軽口に、大勢の前でからかわれたり、馬鹿にされたりしたみたいに感じたことってありませんか。逆に、さっきのBさんのように、ふとした自分のひと言が、思いがけず相手の反発や怒りを買ってしまったり。

 言葉の届く先にはどんな人がいて、言葉を受け取るのでしょう? 私たちには見えているようでじつは見えていません。その中にいるはずの、あなたのよく知っている友だちでさえ、どんな気持ちで受け取っているか、本当には知ることができないものです。

「そんなふうに思われてたのか」
「わかってくれると思ったのに」

 関係がぎくしゃくしたり、炎上したりするのは、そこがフォーマルな場と気づかずに、カジュアルに踏みこんでしまった、という行き違いから起こることが多いのではないでしょうか。

 SNSも、文字の国。仲のよいフォロワーにだけ向けたプライベートな投稿でも、文字になったあなたの言葉は、いつのまにかオフィシャルでフォーマルな空気をまとっています。そんなつもりではなくても、そうなってしまう。違ってくるのは、別に悲しいことではありません。言葉とは、そしてとくに文字の言葉とは、そういうものなのです。

 自分の言葉が思っているのとは違う姿で相手に届くかもしれない、という可能性をいつも心のどこかに置いて、自分の言葉をあらためて見直してみる。それが、「言葉を届ける前にしておきたい12のケア」の第1番です。

 でも、どうして文字の国の言葉はフォーマルになるのでしょう? そこには、耳口オーラル国の話し言葉とはちょっと違う、文字の国の言葉、書き言葉(このごろは「打ち言葉」ともいう)の持つ秘密があります。

3つの働き

 文字の言葉には、
  ①記憶する
  ②再現する
  ③形にする
 という働きがあります。

蝋板(タブレット)
学生がギリシャ語を練習した蝋板(タブレット)。上段がお手本。2世紀頃?British Library’s collections

①記憶する

 話し言葉は、口にした端から消えていきますが、文字の言葉は、何百年何千年と生き残ることができます。

「人は自分に興味を持つ人に対して興味を持つ」
「チャンスはたやすく与えられないが、たやすく失われる」

 なるほどな、そうかもなと思わせられるこの格言は、誰の言葉かといえば、古代ローマの劇作家、プブリリウス・シュルス(紀元前1世紀)の言葉なのだそうです。2000年の時を超えて、文字を載せている船(=書物)が壊れないかぎり、文字の言葉はいつまでも“言葉の海”を進み続けます。

 私たちがふだん、忘れないために書いておくメモ書きも、文字のこの「記憶する」という働きによるものです。

古代メソポタミアの土地台帳
古代メソポタミアの土地台帳。最古の本(文書)は行政記録。紀元前2100年頃。Metropolitan Museum of Art

②再現する

 文字の言葉は、相手に届くと、あたかも目の前でその人が話しているように、動きはじめます。

 おもしろい本につい引きこまれて、ドキドキしたり、はらはらしたり、登場人物と一緒に悲しくなったり、喜んだり、本気で怒ったり……。会ったこともない、どこかの国の誰かさんが書いたお話を読んで、感動したり共感したりすることができるのは、届いた瞬間に自動的に動き出し物語を再現する、文字の言葉の力が働いているためです。

③形にする

 言葉は、その人の頭の中、心のうちにあるあいだは、形を持っていません。文字に記すことで、私たちは初めて自分の言葉と向き合うことができます。

「悩んでいるときは、ノートに書き出してみたらいいよ」とは、よく耳にするアドバイスですよね。書き出すことで自分が何を考え、どこに悩んでいるか整理することができる、という知恵ですが、どうして書けば整理できるのでしょう? その鍵は、文字になることで言葉は身体を持つ、というところにあります。

 じっさいに書き出してみて、「あ、私ってこんなことを考えていたのか!」と驚いたりするのは、自分の中だけにあった姿のない思い=言葉が、いま目の前にふいに立ち現れて、はじめて形あるものとして客観的に見ることができるようになったから。まるでそれは、自分の前に一人の子どもが――よく知っているのに誰か思い出せない、そんな子どもが立って、こちらの様子をうかがっているようなものです。

 文字にすることで、私たちは、自分の中でぐるぐるしているだけの言葉を、外の広い世界に連れ出して、目の前に立たせてあげることができます。

「記憶する」「再現する」「形にする」、これらは話し言葉にはない、文字の言葉の持つ独特な働きです。耳と口オーラルの国では、言葉は発せられた次の瞬間、形を結ぶことなく、目の前で次々に消え去っていきます。でも、文字の国では、これらの働きが、言葉に姿形を与え、いつまでも、どこまでも残り、果てしなく届こうとするものに変えます。それゆえに、文字の言葉は個人の限界や制限を超えて、正式でフォーマルな性格を帯びることになります。

楽譜
楽譜――消えていく音を書き記す。モーツァルト「弦楽四重奏曲第21番」第3楽章。1789年。British Library’s collections

身だしなみを整える

 さて、あなたの言葉はいま外の世界に出てきました。これから、誰かのところに向かって飛んで行きます。その誰かは、目の前にいるあなたのよく知っている人かもしれないし、遠くの顔も名前もわからない人かもしれません。

 ふだん私たちは、お出かけの前に、ちょっと鏡を見て、髪を整えたり、服を直したりしませんか? 言葉も同じです。誰かに出会う前に、どこかおかしなところはないか、ふさわしい身なりをしているか、気にしてあげましょう。

 髪ははねていませんか? 新しいセーターの値札は取りましたか? 靴下の左右が違ってます!

 ――そんなことが、文字の国の言葉たちにもあります。

 次回からは、言葉の身だしなみの整え方、誰かに出会う前にしておきたいケアをひとつひとつご紹介していきます。

 ちょっと気にかけてあげるだけで、ほら、どこに出てもきっとだいじょうぶな言葉になりますよ!

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著者について

About 大西寿男 4 Articles
おおにし・としお。1962年、神戸市生まれ。1988年より、河出書房新社、集英社、岩波書店などで、文芸書を中心に、さまざまな書籍・雑誌の校正を担当。一人出版社「ぼっと舎」代表。2021年に上梓した『校正のこころ』増補改訂第二版(創元社)が、「言葉や本を大切にしたい人必読」と大きな反響を読んでいる。『校正のレッスン』『セルフパブリッシングのための校正術』ほか著書多数。言葉の寺子屋「かえるの学校」などで校正の心と技を伝える。