近代の名作小説、現代の流行小説を網羅――中国出版界が日本文学に注ぐ熱い視線(前編)

馬場公彦の中文圏出版事情解説

『你想活出怎样的人生(邦題:君たちはどう生きるか)』
『你想活出怎样的人生(邦題:君たちはどう生きるか)』(from 豆瓣

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 北京大学・馬場公彦氏による中国の出版事情レポート、今回は中国における日本文学の翻訳事情について。前後編でお届けします。

日本と同じく、中国も翻訳文学大国

日本文学の翻訳事情

 先の中国レポート「巨大な児童書市場での日本のプレゼンス」で、書籍市場の売上3割を占める児童書において、外国のコンテンツが主流を占め、イギリスに次いで日本とアメリカの作品が多く翻訳されていることについて触れた。2019年の売上実績をみると、主要なジャンルは売上額順に児童書―学参書(教材・副読本を含む)―社会科学に次いで文学関連で、これらを合算すると80%を超える市場規模に達する。そのうち文学は昨年比1.74%減とはいえ、全売上額の10.19%である。

 さらに文学の内訳をみると、小説・散文が売上額の大半を占めており、小説の細目では中国現代文学(ランキングのトップは余華『活着(活きる)』)・外国現代文学・中国幻想小説(トップは劉慈欣『三体』)の比率が高い。外国現代文学は小説ジャンルの売上の14%で、昨年の11%から伸ばしている。作家別の売上ランキングを見ると、トップ100冊のうち69冊が中国国籍の作家。次いで日本の作家が14冊あり、そのうち6冊の東野圭吾が独走状態である[1]

 中国の総合出版社あるいは文芸系出版社の経営者・編集者・版権担当者は、常に日本文学の最新動向に目を光らせる。アマゾンや紀伊國屋や東日販を初めとする売上ランキングをウォッチし、芥川賞・直木賞・本屋大賞などの受賞情報をチェックしている。

冷淡な日本側の対応

 いっぽう豊富な作家の文芸コンテンツを抱える日本の出版社側の編集・版権担当者はというと、総じて中国の日本文学翻訳事情に疎く、関心も低い。版権譲渡のアドバンスが1コンテンツ当たりせいぜい10~50万円程度と安価で、その割には中国の出版界独特の煩瑣な取引慣行や、検閲による修正・削除要求や、海賊版が出回るなどのリスクがあるほかに、中国への翻訳権譲渡を忌避する著者の許諾が得られないケースもある。そこで熱い視線を送る先方からの問い合わせやオファーに対して、ともすれば冷淡な対応をしたり、反応が鈍かったりすることも見受けられる。取引・交渉は直取引を避けて、海外版権エージェント任せという出版社も多い。

 日中の出版文化を研究している南京大学の田雁教授によると、2002年から2011年にかけて、中国が輸入した日本の書籍の版権は1万2600点に及び、毎年平均1000点に達する[2]。それだけの大規模市場が広がっているにもかかわらず、売り手側は冷淡な対応である。

 そこで今回は、中国で人気の日本の作家について、どのような作家が翻訳されているか、どのような傾向がみられるか、どのような課題に直面しているのかなど、日本文学の翻訳事情について深掘りしてみたい。選書の傾向、出版活動の趨勢、現場が抱える諸課題を通して、日中の担当者が協働して現状の難問を打破していけるような機運が醸成されることを願って。

中国も日本と同じく外国文学の翻訳大国

 近代以来、日本は西洋文明に倣おうと、さまざまな分野で積極的に西洋の物質文化を摂取してきた。と同時に、西洋の精神文化と教養に西洋の翻訳書を通して親しんできた。とりわけイギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・スペイン・イタリア・ロシアなどの文学の名作はほとんどすべて邦訳が揃っており、これらの国々の優れた文学作品や話題作を積極的に翻訳出版する伝統は、いまなお続いている。1980年代からは、韓国・台湾・中国など東アジア文化圏の作品がかなり翻訳されるようになった。

 中国においては、ベルヌ条約・万国著作権条約に加盟した1992年、さらには2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟して以降、積極的に外国文学を翻訳するようになった。上記の日本の翻訳傾向は、ここ数年、とりわけ中国で時間を濃縮するようにして急速に展開されていると言ってよい。

 ノーベル文学賞の話題性から、ガルシア=マルケス、バルガス・リョサ、ボルヘスなどの中南米の作家の作品を旺盛に翻訳しているところもよく似ている。昨年のベストセラーの一つにチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン(82年生的金智英)』が挙がるなど、韓国文学のブームが起こっているのも日本と同様である。

日本の古典的名作と流行小説への注目

 なかでも際立っているのは日本文学の人気の高さであり、売上額ではアメリカ文学に次ぎ、タイトル数ではアメリカ・イギリスに次いで第3位である。データ処理・企業管理コンサルティング業の中金易云科技有限責任公司の2020年第3四半期までの書籍市場データ分析によると、中国の書籍市場を牽引する日本文学の作家は名作系と流行作家系に大別できる。購買層は成人と青少年で、東野圭吾を典型として日本の流行小説がそのまま流行する傾向が強い。ジャンルを細分化すると、児童文学を除くと近代の純文学と現代のラノベが主流で、なかでもミステリー・熱血もの・青春ものの人気が高い。

 近代文学の名作のなかでも成人・青少年が好みそうな流行とマッチした純文学、とりわけ著作権の切れたPDパブリックドメイン(「公版」)の作品の掘り起こしは、編集者の企画能力の腕の見せ所だ。なかでも2009年に出された太宰治『人間失格』はとりわけ青少年の感性を刺激し、毎週トップランクの常連である。日本文学のランキングにおいて、タイトル数トップ10に夏目漱石・新美南吉・谷崎潤一郎、売上トップ10に太宰治・夏目漱石・芥川龍之介などのPD作家が名を連ねている[3]

近代有名作家はほとんど総なめ状態

 そもそも中国が歴史的に日本の書籍全般を旺盛に翻訳するようになったのは、日清戦争に敗北して、大量の清国留学生が日本に渡った後のことで、20世紀に入って以降のことである。皮肉なことに最初のピークとなったのは、屈辱的な21カ条対華要求への反発から大都市の学生を中心とした反日運動のムーブメントが沸き起こった1919年の五四運動において新文化運動が盛んになったときであった。当時からすれば同時代の作家の作品が次々と中国語に翻訳されて、広範な青年層や知識人に読まれた。

 今なおその当時の名作は、場合によっては訳者を換えて新訳で継続出版されている。李煒・編「中国現代文学期刊(1915-1951)登載日本文学作品翻訳目録」という、1915年から51年の中華民国時代の間、中国で発行された主な中国文学関係の雑誌に掲載された日本文学翻訳作品の目録がある(1949年の中華人民共和国成立以降からの作品はほとんど採録されていない)。そこで、中国語訳のある作家を総覧してみた。するとゆうに百名を超える作家の作品が翻訳されており、夏目漱石・森鴎外・島崎藤村・谷崎潤一郎・芥川龍之介はじめ横光利一・樋口一葉・長与善郎にいたる本格派作家系、北村透谷・石川啄木・堀口大學・高浜虚子ら詩歌系、厨川白村・正宗白鳥・大宅壮一・室伏高信ら評論系、小林多喜二・葉山嘉樹・島木健作・中野重治ら無産階級文学系、林芙美子・丹羽文雄・海音寺潮五郎ら大衆文学系など、ほぼ漏れなく同時代の有名作家は網羅されている。ただ意外なことに小林秀雄の名前は、従軍作家として5度戦時中に訪中した経験があるにも関わらず見当たらなかった。

 次にオンライン図書販売の豆瓣サイトで、近代日本の主だった作家の中文版がいまなお発行されているかどうか検索してみた。こちらもほとんど守備範囲に穴がない。むしろ、中勘助・宮沢賢治・幸田露伴・佐藤春夫・江戸川乱歩など、前者で見当たらなかった本格派作家の作品も、近年になってカバーしている。ただ志賀直哉と小林秀雄は名声の割に希少である。

 今後はこれら翻訳が希少な有名作家と、PDになって間もない作家の掘り起こしが積極的になされることが予想される。PDとなると1948年没の太宰がそうである他、1970年没の三島由紀夫や59年没の永井荷風などがいるが、すでに彼らの翻訳版は豊富にある。

[編注:著作権法は属地主義なので、日本の作家であっても中国の保護期間である死後50年間で満了となる。]

現代の流行作家もほぼ遺漏なく

 さらに豆瓣サイトで前者の目録以降の年代に相当する戦後活躍した現在の流行作家以前の現代作家に着目した。すると石川達三・安部公房・坂口安吾・井上靖・横溝正史・大江健三郎・松本清張・小松左京・谷川俊太郎・筒井康隆らの大物作家の作品はしっかりと多数の邦訳を抱えている。ただ、一部の社会派作家については、翻訳作品が希少であるかサイト上では皆無の作家が散見された。堀田善衛・武田泰淳・高橋和巳・開高健・稲垣足穂などで、意外なことに、彼らは足穂を除いてとりわけ中国との縁の深い作家である。それだけに当局はその中国観・中国言説に敏感となり、内容が忌避されたのだろうか。最近の物故作家では吉村昭の作品もあまり翻訳されていない。

 最近の売上ランキング上位に連なる流行作家、いわゆるブランド作家(「品牌作家」)に注目してみよう。

 田雁によると、2011年を例にとってみると、700余名の日本の作家1176点の作品が中国で翻訳出版された。トップ10には山岡荘八、東野圭吾、三島由紀夫などが入っており、あとの7名は絵本作家と漫画家である[4]

 湖南師範大学の大学院生尹朝霞さんの修士論文で、中国EC大手当当のオンライン書籍販売サイトでの2015~2018年における小説ベストセラートップ500のデータを用いての、日本文学に関する分析がなされているので紹介しよう。

 それによると、500タイトルのうち日本文学作品は103点。そのうちジャンル別にみると推理小説が54点、そのうち何と49点を東野圭吾作品が占める。そのほか強いのはラブロマンス系(「情感類」)、青春小説系、名作系、社会系である。図表の登場順に複数以上のタイトルを擁する作家名を列挙すると、東野圭吾・村上春樹・川端康成・夏目漱石・太宰治・堀辰雄・渡辺淳一・岩井俊二・宮部みゆき・石黒謙吾・紫式部・川村元気・山本文緒・島田荘司・新海誠・石田衣良・湊かなえ・伊坂幸太郎・奥田英朗・芥川龍之介・井上靖・是枝裕和・夢枕獏・小川糸・山田宗樹・三島由紀夫である。ただ言わずもがなだが、ポルノや性愛小説系は皆無といっていいだろう[5]

 断トツトップの東野圭吾については、各社目の色を変えて版権獲得に奔走している。なかでも新経典文化股份有限公司がその20点を下らないタイトル数においても売上額においても抜きんでている。売上トップスリーは『ナミヤ雑貨店(解憂雑貨店)』『白夜行(白夜行)』『容疑者Xの献身(嫌疑人X的献身)』で、同社によると、それぞれ発行部数は1000万部、700万部、460万部に達する。

 思いつくままに比較的評価の定まった有名流行作家をさきの豆瓣サイトで検察してみた。すると大半の作家はすでに複数冊の翻訳が出版されてはいたものの、業界系の黒木亮、社会派系の高村薫・赤坂真理・佐藤優、人生指南エッセイの五木寛之・佐藤愛子などは訳書が僅少であるか皆無であった。とはいえそれらの作家が中国語圏で注目されていないとは限らない。すでに契約済みで翻訳中、著者が中国語版の翻訳権譲渡を承諾していないなどの事情もありうる。

 総じていえば、日本で流行しているタイトル、日本で受賞や作家・作品の個性などで話題性の高い作品は、中国でも翻訳すれば同じように売れ行きは良好で、話題沸騰する。たとえば文庫でもコミックでも2018年のベストセラーであった吉野源三郎『君たちはどう生きるか』は、2019年8月中文訳が新経典文化股份有限公司で出版されるや(「你想活出怎様的人生」)、すでに発行部数55万部に達しているのである。

参考リンクなど

[1]https://www.sohu.com/a/416372754_100012780
[2]田雁『図書出版産業の中日比較(「図書出版産業中之中日比較」)』社会科学文献出版社、2014年、第8章2の3。電子書籍に拠ったため、頁数表示はできない。
[3]https://mp.weixin.qq.com/s/vvxEYyyTvjhHkM1BGi7EBQ
[4]田雁前掲第8章2の4
[5]「輸入版日本文学の出版に関する研究(引進版日本文学類図書出版研究)」2020年6月、湖南師範大学

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著者について

About 馬場公彦 32 Articles
北京外国語大学日語学院。元北京大学外国語学院外籍専家。出版社で35年働き、定年退職の後、第2の人生を中国で送る。出版社では雑誌と書籍の編集に携わり、最後の5年間は電子出版や翻訳出版を初めとするライツビジネスの部局を立ち上げ部長を務めた。勤務の傍ら、大学院に入り、国際関係学を修め、戦後の日中関係について研究した。北京大学では学部生・大学院生を対象に日本語や日本学の講義をしている。『人民中国』で「第2の人生は北京で」、『朝日新聞 GLOBE』で「世界の書店から」連載中。単著に『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』法政大学出版局、『戦後日本人の中国像』新曜社、『現代日本人の中国像』新曜社、『世界史のなかの文化大革命』平凡社新書があり、中国では『戦後日本人的中国観』社会科学文献出版社、『播種人:平成時代編輯実録』上海交通大学出版社が出版されている。
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