[献本先着25名] プロイセン王妃ルイーゼ下 ナポレオンと戦った王妃

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霧野智子さんから「プロイセン王妃ルイーゼ下 ナポレオンと戦った王妃」の献本です。
プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世王妃、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の母であり、ドイツで最も人気のある王妃ルイーゼ王妃についての作品です。

プロイセン王妃ルイーゼ下 ナポレオンと戦った王妃
プロイセン王妃ルイーゼ下 ナポレオンと戦った王妃

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霧野智子さんからコメント

日本ではドイツ史というと、通史として軽く触れられる程度であり、専らドイツ帝国成立頃~現代までばかりが集中的に取り上げられる傾向があり、以前から残念に思っていました。個別の人物としても、
ドイツ方面で取り上げられるのは、やはり、専らオーストリアのハプスブルク家関連人物達ばかりです。
私は特にプロイセン王国に、思い入れがあるという訳ではないのですが、やはり、こちら方面で一番重要かつ、歴史的影響の大きさから、プロイセン王国に特に注目しました。そして更に、私は特にドイツの上記のような、帝国成立以前の時期の、ドイツ史に関心があり、この王家の女性達を中心に、調査・研究をしてみました。しかし、日本ではいまだこのようにマイナーな存在に留まっていますが、こちらの王妃達の血縁関係を辿れば、例えばフリードリヒ一世王妃ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファーは、ハノーファー出身の、イギリス国王ジョージ一世(エルンスト・アウグスト)の妹であり、またあのフリードリヒ大王の父方の祖母に当たり、ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の由来でも有名な女性です。
ゾフィー・シャルロッテからは、日本でも有名な人物達との繋がりも、見出すことができます。
また、このようにドイツのハノーファー家とイギリス王家は、昔から深い結びつきがありました。
そして、ハプスブルク家だけではなく、他にも興味深い女性達は、ドイツ王家方面にも、存在しています。例えば、王妃ゾフィー・シャルロッテは、母親と共にあの有名な哲学者ライプニッツと交流を結ぶ程、
当時の女性としては稀な高い知性の持ち主で、哲学に対する深い理解力にも、恵まれた人物でした。
そして、今回紹介する本の中で取り上げている、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世王妃で、後の初代
ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム一世母のルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツは、初めはその朗らかで親しみやすく気さくな性格と美貌で国民達に人気を博し、後からはヨーロッパ全土がナポレオンの脅威に晒されている時代、敢然と抵抗の姿勢を示し、その態度が彼女を伝説的な存在にしていきました。そして、現在でもドイツ王妃の中では、一番の知名度と人気を保っています。しかし、このような立場と存在であった、このルイーゼ王妃でさえ、次男で後のドイツ帝国初代皇帝となったヴィルヘルムと
同様、いまだに日本では単独で詳しく扱った内容の本は、皆無だと思われます。

あらすじ

プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世王妃、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の母であり、そして現在でも、ドイツで最も人気のある王妃ルイーゼ王妃は、その美貌、当時のファッションリーダーとでも言うべき、華やかなファッションスタイル、そしてその明朗で気さくで、親切な親しみやすい人柄、それまでのプロイセン王家では珍しい、ブルジョワ的で円満な家庭などから、すでに大変な人気を博していたが、何よりも彼女の存在を伝説的にし、圧倒的に人気を高めたのは、フランスのナポレオン軍の相次ぐプロイセンの領土侵攻に対し、毅然とした態度を示し、ナポレオンに抵抗し続けた彼女の姿勢だった。
ナポレオンのドイツ進攻の前に、ドイツの諸邦国全体が、存亡の危機に晒されていた時代だったのである。

下巻内容

オーストリア、ロシアと、ヨーロッパの各大国を相手に次々と勝利し、ついには神聖ローマ帝国を解体、神聖ローマ帝国皇帝フランツ一世を退位させ、そして「ライン同盟」結成など、ナポレオンの勢力拡大に脅威を感じた、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世と王妃ルイーゼは、皇帝アレクサンドル一世との同盟を計画する。やがて、プロイセン王国の飛び領地であり、妹フリーデリーケの嫁ぎ先にもなっていたアンスバハやエッセンなどの、国内の各領土や、父のカール・ルートヴィヒが州知事を務めており、そしてかつて王妃ルイーゼが家族達と幸福な時間を過ごしていた、プロイセンとの関わりの深い場所であるハノーファーなどが、ヨーロッパ全土の支配を目論むナポレオンにより、次々と侵略されていく。ついに、プロイセンはフランスに宣戦布告、しかしイェーナ・アウエルシュテットの戦いでフランスに大敗、国王一家は東プロイセンのケーニヒスベルクに亡命、二年間の亡命生活を余儀なくされる事になる。そして首都ベルリンはフランスに占領された。更に、各領土の分割、更に国庫の三倍の賠償金の支払いと、それが済むまでは、国内の十五万人のフランス軍駐留を認めさせるという、厳しい条件を突きつけられた。

このような中、ハルデンベルクやシュタイン、そしてシャルンホルスト、グナイゼナウ、ボイエンらの改革官僚により、存亡の危機に晒されたプロイセンの復活のため、必死でプロイセンを近代国家に生まれ変わらせようと、そして来たるべきナポレオンとの再度の対決に備え、急遽各改革が行われた。そして、ついにその成果が現れ、「解放戦争」で各国と破り、平和がドイツ全土に戻り、プロイセンもフランスに奪われた領土を取り戻し、復興ヘの道を歩み始めた。しかし、この結果を見届ける事なく、王妃ルイーゼは、ナポレオンとの戦いに、命が燃え尽きたかのように、一八一〇年に、三十四歳の若さで死去、すでにこの世の人ではなかった。
やがて、六十一年後の、一八七一年に次男の王子ヴィルヘルムは、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世として即位する。

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