炎上する前に「プロアクティブ」な決断を迫られる出版社

大原ケイのアメリカ出版業界解説

炎上のイメージ
Photo by Beatrice Murch(from Flickr / CC BY

《この記事は約 5 分で読めます(1分で600字計算)》

 アメリカの出版業界で、世論が沸騰する前や、司法が動く前、さらには、刊行すら行われないうちに「プロアクティブ(能動的)」な対応を行う事例が出ているそうです。大原ケイさんにレポートいただきました。

告発によって表舞台から消えていった編集者や著者

 キャンセル・カルチャーに関する昨年8月のコラムで、#MeToo運動やBLM運動について、これからはアメリカの出版社も明確な立場を表明し、それに則った早急な決断を迫られていくだろう、という趣旨のことを書いた。

 今アメリカでは、実際に刊行されれば賛否両論となることがわかっている本をどう扱うか、著者にどう対応するのか、司法や世論が動く前に判断することが求められている。いわゆる「プロアクティブ(pro-active)」な企業経営だが、その例を紹介しよう。

 ひとつは、これまでにもセクハラやパワハラの告発によって、内部調査で企業トップの男性や有名人が何百人も“引退”した #MeToo ムーブメントだ。この数年で出版界隈でも、パリス・レビュー誌のロリン・スタイン編集長(編集者の立場で複数のライターや部下と交際)、ジュノ・ディアズ(過去の交際相手に対する嫌がらせや付きまとい)、エディー・バーガンザDCコミックス編集者(キスの強要などのセクハラ)、バーンズ&ノーブルのデモス・パルネロスCEO(部下の女性へのセクハラ)、『13の理由』著者ジェイ・アッシャー(セクハラ)らが表舞台から消えた。

 特筆すべきは、告発された側が否定したり謝罪してもお咎めなしとはならず、被害者の告発内容に重きが置かれていること。後継者として女性が選ばれる場合が多く、男女格差を埋める後押しをしていることだ。

 本が関わる案件では、これまでにも著名人の評伝で知られるブレイク・ベイリーが刊行したばかりの、フィリップ・ロスの評伝が出荷停止になった。4月初旬に発売になった「Philip Roth: The Biography」は前評判もよく、初版5万部ですでにベストセラーとなっていた。ベイリーは1990年代に中学校教師をしていたが、その頃の教え子が成人してから性関係を迫り、レイプしたとされる件だ。

 版元のW.W.ノートンは告発を受けすぐに評伝の出荷を停止し、増刷やプロモーションも止めると発表した。調査をしてその結果次第でさらなる措置が取られる。これを受けてベイリーのエージェンシーも彼をクライアントとして擁するのを止めた。

 元教え子であっても、恩師という立場を利用して成人後に交際や性関係を迫る行為は「グルーミング(grooming)」と呼ばれる。今回の措置は、似た内容の複数の告発を受けて出版社が早急に対処した形となった。

 これが堂々と不倫を繰り返し、作中でも女性の描き方が偏向していると評されるフィリップ・ロスの、評伝を書いた直後に起きた事件だと思うと感慨深い。

危ない本の流通を担わない決断をする事例も

 一方で、BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動に関する件でも、出版社の頭を悩ませる問題が起こった。容疑者の首に膝をつき、窒息死に至らしめたとして有罪判決が下りたばかりのジョージ・フロイド事件のことは日本でも報道されたが、アメリカでは他にも日常的に警官による黒人への発砲が起きている。今回の裁判と前後して取り上げられていた事件が、ブリオナ・テイラー射殺事件だ。

 これはケンタッキー州で昨年3月に、警官チームが間違った家に突然、逮捕状も見せずに突入し、就寝中だったブリオナさんの交際相手が暴漢の不法侵入だと思い、警官と銃撃戦になり、ブリアナさんが死亡した事件だ。全米オープンの際、大坂なおみ選手は彼女の名前入りのマスクをつけて会場に入るなどした。

 この事件に関わった7人の警官は誰も起訴されることなく、3人が解雇となっただけだった。そのうち、最初にドアをこじ開けて押し入り、ブリオナさんを撃った1人であるジョナサン・マッティングリーが「The Fight for Truth」という本を書いた。版元のポスト・ヒル出版はテネシー州にある小出版社で、主に宗教関連本と保守派政治の本を手がけている。

 だが、その流通機能を外注事業として担っているのが大手サイモン&シュスターで、ここがこの本を取り扱わないという決断をした。ポスト・ヒルは予定通りこの本を刊行する予定だが、流通倉庫機能なしにどうやって読者の元に届けるのかは不明だ。ちなみに各書店でこのタイトルを扱うかどうか、発表したところはまだない。

 アメリカの大手出版社は、自社の広大な倉庫を活かして中小出版社の本の注文から売上収益までを引き受ける、外注のディストリビューターとして事業を請け負っているところが多い。しかし、クライアントである中小出版社の本の内容が、自社の編集方針に沿ったものであるかどうかまではいちいちチェックしない。もし今後もこのようなケースがあれば、大手による検閲行為と受け止められかねず、問題となるだろう。

 全体的にリベラル志向が強いアメリカの出版業界だが、これまでは保守派の本を出す場合、大手出版社では専門のインプリントを作り、保守・リベラルのバランスが取れた本を出しています、というポーズと取っていればよかった。

 だが、これからはBLM運動の高まりや、白人至上主義者らによる1月6日の国会議事堂占拠、そして保守派の州議会による選挙資格の引き締め法案の影響もあり、トランプ政権のもとでさらに二極化した読者に向けて、早急に立場を明確にし、具体的な行動をとることがよりいっそう求められるようになっていくだろう。

 サイモン&シュスターのジョナサン・カープCEOは、自社社員に宛てたメールで「出版社としてこれからも著者も社員も自由に意見を言い、多様な主旨の本を出せる場としてコミットしていく。逆に、我々の出す本が流通や書店の反対に遭うこともあるだろう。」と、これからも対立は避けられないことを匂わせている。

参考リンク

#MeTooムーブメントで失脚した人々と後継者のリストを載せたニューヨーク・タイムズの記事

広告

著者について

About 大原ケイ 289 Articles
NPO法人HON.jpファウンダー。日米で育ち、バイリンガルとして日本とアメリカで本に親しんできたバックグランドから、講談社のアメリカ法人やランダムハウスと講談社の提携事業に関わる。2008年に版権業務を代行するエージェントとして独立。主に日本の著作を欧米の編集者の元に持ち込む仕事をしていたところ、グーグルのブックスキャンプロジェクトやアマゾンのキンドル発売をきっかけに、アメリカの出版業界事情を日本に向けてレポートするようになった。著作に『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(2010年、アスキー新書)、それをアップデートしたEブックなどがある。
タグ: / / / / / / /