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1月28日号
子供たちに向けた本には、光り輝くヒーロー・ヒロインが大活躍しますね。でも、この一冊はちょっと違う。『トム・ソーヤーの冒険』を生んだマーク・トウェインが本当に書きたかったヒーローの話は、その後10年を掛けて構想した、この“不良少年”ハックの物語だったのです。『千夜千冊』では、なぜこの一冊が、いつの時代でも大人の心に響く作品になっているかの秘密が解き明かされていく。そこには、社会の「負」という要素を恐れずに持ち出した、トウェインの小さくて大きな一歩があったのです。
『千夜千冊』第611夜 2002年9月3日
マーク・トウェイン『ハックルベリイ・フィンの冒険』(村岡花子訳/新潮文庫)
そんなふうに言えるかどうか、ここで初めてそう言ってみるのだが、ぼくはアメリカン・ヒーローが大嫌いである。
子供時代は父親に連れられてさすがに西部劇をよく見たが、気にいったのはアラン・ラッドの『シェーン』だけで、とくにジョン・ウェインはことごとくお呼びじゃなかった。ジョン・ウェインだけでなく、デビー・クロケットもワイアット・アープも、スーパーマンやロッキーやクロコダイル・ダンディまでダメなのだ。
ところがハックルベリイ・フィンだけは好きだった。その理由のことなど考えてみたこともなかったのだが、さきほど、「そうだ、今夜の千夜千冊はハックルベリイ・フィンを採り上げよう」と思って、ちょっと目をつぶって「あのころ」のことをあれやこれや思い出しているうちに、ぼくの中の少年ヒーロー像がいろいろ蘇ってきて、どうもそこには何かの共通性があるようにおもえてきた。
推理のはての結論。ぼくは泥棒をする少年が好きなのである。あるいは泥棒をする少年を助ける鞍馬天狗や、大人になっても泥棒がやめられないアルセーヌ・ルパンが好きなのである。こういう推理結果になった。そうおもえば、アメリカ映画も『俺たちに明日はない』や『スティング』は大喝采だった。これはきっとヒーローにならないヒーロー、内輪だけのヒーローが好きだということなのだろう。そう、合点した。
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マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』
モーリス・ルブラン『813』
大佛次郎『鞍馬天狗』
石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』