《この記事は約 3 分で読めます(1分で600字計算)》
1月14日号
冬本番、夜はひたすらコタツから離れがたいものですが、一方、天体少年たちにとっては、澄み切った空のもと、星見三昧にふける絶好の季節でもあるんです。そこで今日は、千の夜を彩るたくさんの本の中からこの一夜をご紹介。日本が誇る「天体民俗学者」である野尻抱影が、ひたすらに日本の星言葉で天体を覆いつくした爽快な一冊です。編集者・松岡正剛がその本づくりを心から慈しんだという永遠の天体少年翁は、いま、オリオン座の右端にいるそうです。
『千夜千冊』第348夜 2001年8月2日
野尻抱影『日本の星』(中央公論新社)
新村出の『南蛮更紗』がすべてを暗示した。
いまさらいうまでもないけれど、『南蛮更紗』は「雪のサンタマリヤ」「吉利支丹文学断片」といった洒落た南蛮趣味の随筆で一世を風靡した随想集である。こういう随想を綴れる文人が少なくなったなどという苦言はこのさいおいて、ここには「日本人の眼に映じたる星」「星に関する二三の伝説」「二十八宿の和名」「星月夜」「昴星讃仰」「星夜讃美の女性歌人」という6篇の星に関する言及が収められていた。
日本の天文談義の歴史では、最初の「日本人の眼に映じたる星」がとくに有名で、当時の日本言語学を牛耳っていたチェンバレンの「日本文学には星辰の美を詠じたものがない」という説に、新村出が華麗に反旗をひるがえしたもの、アマツミカホシから北辰北斗をへてヨバイボシ(夜這い星)までがずらり並べられたのだ。それが明治33年のことである。
これに若き天体民俗学の野尻抱影が感応した。大正12年のことである。それもそのはずで、なにしろ「星夜讃美の女性歌人」では建礼門院右京太夫の歌集を”日本文学絶無の文学”といった調子で格調高く綴ってあるのだから、これは天体において「和」を打ち出してみたい青年には武者ぶるいのする挑戦だった。
すでに抱影少年は、神奈川一中で獅子座流星群の接近に遭遇して以来の天体少年である。中学4年の修学旅行では急病になり、そのとき病室で見たオリオン座が忘れられなくなってもいた。
その後、早稲田大学の英文科で彼の地の文芸の修養をつみ、ラフカディオ・ハーンに習って逆に日本の心を教えられ、青年抱影は、ここに東西の意志を結ぶには、きっと天体をもってこそ答えたいという使命に燃えていく。それには日本の星にも歴史があることを証明しなければならなかった。24歳のときに見たハレー彗星も目に焼きついた。
そのころ抱影青年は山岳に憧れ、南アルプスに夢中になっていたのだが、そこから星は手にとれるようだったという。ただ、それらの星々を日本の名前で指さしてみたかった。
こうして星の和名の収集が始まったのが大正末年である。
【続きはこちら】
野尻抱影『星三百六十五夜』
石田五郎『天文台日記』
『プロジェクトX 挑戦者たち 男たちの飽くなき闘い 宇宙ロマンすばる』
大佛次郎『時代小説英雄列伝 鞍馬天狗』