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3月25日号
作家が「自分が生涯を通して書くものはすべて、最初に書いた本の脚注に過ぎない」と言い切った、そんな一冊があります。千夜千冊にも名前が数多く登場し、松岡正剛の考え方に多大な影響を与えた作家、稲垣足穂が、大正12年に23歳でまとめた本書がそれです。でも、その本が特別というよりも、そんなことを言える作家がまさに特殊な存在。タルホが自らの生き方から示したテーゼ、しかつめらしい「世界」というものを軽やかに逆転させていく存在学が、この地球にはあるということを、今回の千夜千冊が伝えてくれます。
『千夜千冊』第879夜 2003年10月29日
稲垣足穂『一千一秒物語』(新潮文庫)
(本文中段より)
タルホがここでショーイングしてみせたのは、存在学に雲母の音がする自己撞着である。論理学や現代思想がしばしば自己言及系を問題にしてきたなかで、これはこれはなんとも唐突な論理の脱出であり、主体性の打擲だった。ぼくはとりわけ次のハイパーコントを読んで、胸のプロペラが唸り声をあげたのを聞いた。
ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた 坂道で靴のひもがとけた 結ぼうとしてうつむくとポケットからお月様がころがり出て 俄雨に濡れたアスファルトの上を ころころころころ どこまでもころがっていった お月様は追っかけたが お月様は加速度でころんでゆくので お月様とお月様との間隔が次第に遠くなった こうしてお月様はズーと下方の青い靄の中へ自分を見失ってしまった
この「お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた」は、これまでのあらゆる哲学と論理学の将来をポンプで圧縮して、フッと紙風船にして飛ばしてしまったような破格の魅力をもっている。
ぼくが「主体性」という用語を極端に嫌ってきたのは先刻ご承知のことだろうとおもうけれど、これほど胸のすく表現で主体性を笑いとばした一文はない。しかもこの主体性はたちまち二つに分かれ、しだいに互いの間隔が遠くなって、結局は自身を見失ってしまうのである。これは、バンザイ、だ。
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