ウォルター・ウェストン『日本アルプス』―― 松岡正剛の電読ナビ

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12月31日号

 静かで美しく、厳粛な光にあふれた朝。日本の元日の雰囲気は、登山家たちが味わう冬山の空気とどこか似ていますね。新しい一歩を踏み出す年のはじめにぜひ紹介したいのが、この一冊。明治期に宣教師として来日し、日本アルプスの名を広め、日本近代登山の父となったイギリス人が残した記録です。『千夜千冊』は、寡黙に日本の山を歩き続けた登山家の淡々として一途な記述を浮き彫りにし、清冽な歩みの持つ重さを感銘深く伝えます。

『千夜千冊』第382夜 2001年9月19日

ウォルター・ウェストン 『日本アルプス』(岡村精一訳/梓書房・角川書店・平凡社ライブラリーほか)

 読んでいて、なんだか頭が下がったおぼえがある。

 書いてあることは淡々とした旅行記であり登山記であるのだが、そこにつぶさに記述されている日本の風物や景観がなんとも光り耀いていた。

 美文なのではない。耀いているというのは、文章が耀いているのではなく、当時の日本のごく普通の景色がふつふつと涌き立っている。それも槍や穂高だけではなく、ウェストンが通過している山村や町筋や道端のすべてが息吹いた。

 宮本常一の文章にそういう感覚があった。しかし宮本には鋭い観察があり、民俗学者としての洞察があった。ウェストンは地理学者ではあるものの、いっさい学者としての専門の目をつかわない。分析的なことは一行も書かなかったし、知識をひけらかさなかった。そこは不思議といえば不思議であるが、ひたすらな登山家にはそんな分析は必要がないとおもったのであろう。

 無駄がない。それもあるが、単に無駄がないのではない。小さな旅籠や村と邑のあいだの道の名前やその特徴も一言程度ではあっても、必ず綴ってある。第4章でウェストンは原始的な風景がのこると聞いて飛騨の高山に向かうのだが、まるで芭蕉のようにその途次の描写をいちいち連ねた。関で万屋で休み、金山と外村のあいだでびっくりするほど風景が変わる。低い砂地の丘陵がこんもりとした木の茂る高地に変わったというのである。

 こんな変化に「びっくりするほど」という表現をつかうのがウェストンで、それが連続する。谷が狭くなった、道が細くなった、視野が開けた、急流になった、むこうに古い禅寺が見えた、といったことを、いちいち書く。

 つまり無駄のない文章なのではなく、どちらかといえば気がついたことの全部を書いている。文章はうまいわけでもない。それなのに面倒な印象がない。これが登山家というものがもつ目的力のせいなのかとも思いたくなる。

続きはこちら

小島烏水『アルピニストの手記』
E.S.モース『日本その日その日』
アーネスト・サトウ『日本旅行日記』
桑原武夫『登山の文化史』

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