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HON.jpが9月7日に開催したオープンカンファレンス「HON-CF2024」のセッション2「思い立ったらすぐ出せる“軽出版”という生態系」の様子を、出版ジャーナリストの成相裕幸氏にレポートいただきました。
【目次】
仲俣暁生氏の「軽出版者宣言」
2023年10月、文芸評論家・仲俣暁生氏は主宰する「マガジン航」に「軽出版者宣言」を掲載、その冒頭に「軽出版とは何か。それは、zineより少しだけ本気で、でも一人出版社ほどには本格的ではない、即興的でカジュアルな本の出し方のことだ。」と記した。それから1年の間に、仲俣氏は『橋本治「再読」ノート』、『ポスト・ムラカミの日本文学 改訂新版』を軽出版で世に送り出した。『橋本治「再読」ノート』は既に1000冊以上の販売実績があり、既存の出版制作・流通・販売とは異なる方法で個人出版の可能性を大きく広げている。
セッション2・軽出版「思い立ったらすぐ出せる“軽出版”という生態系」は、仲俣氏と、既存の出版流通を長く経験すると同時に書き手として軽出版を実践している小説家の海猫沢めろん氏、中堅出版社編集者の吉川浩満氏が登壇。軽出版はこれまでの出版流通とどう違うのか、書き手の意識をどう変えるのか、各々の実践方法、展望を語り合った。
意外と見落とされていた100~1000部の領域
まず仲俣氏のスライド説明をもとに軽出版の概要をみてみよう。軽出版の部数は「意外と見落とされていた」100~1000部の規模。販売方法はネット通販、即売会、シェア型書店、直取引で、比較的既存の新刊書店の比重は高くない。1万部以上の文庫・新書・雑誌など大量生産、大量消費、大量返品がベースにある既存の出版流通を「重出版」、そして軽出版との間に部数1000~1万部の中小版元、ひとり出版社がある、との見取り図を描く。
製作・販売は、Word等でつくった原稿をInDesignで自ら組版しPDFを作成したのち、オンラインストア「BOOTH」「BASE」で電子版を販売する。紙版印刷は同人誌向けネット印刷でおなじみの「プリントパック」に委託。紙版は独立系書店や棚主となっているシェア型書店「PASSAGE by ALL REVIEWS」や、文学フリマ等各種即売イベントで販売する。既存の出版流通が依存せざるを得ない「流通と決済は取次とアマゾンを迂回」(説明資料)することも大きな特徴の一つだ。「軽出版」の「軽」とは内容やテーマの軽さではなく、既存の出版流通にある「大量につくり流通させなければならない仕組み」の「重さ」の対極にあることを意味する。
吉川氏は出版社編集者である一方、山本貴光氏とのユニット「哲学の劇場」名義で既存の新刊書店に流通する書籍を執筆。加えて自主製作した同人誌『人文的、あまりに人文的──同人版』を文学フリマで販売した。大手とひとり出版社の間にある中小版元は「その(仕組み)の重さでにっちもさっちもいかなくなっている。部数は出ないし、材料費、ロイヤリティ、アドバンス料も上がっている。経営者でなくてもしんどい思いをしている」と厳しい現状を説明。仲俣氏の軽出版の取り組みは「(これからのことを)考えられる回答の有力な一つ」であり「一昨年くらいから同人誌をやるなかで感じていた危機感を定式化」してくれる気づきがあったそうだ。
海猫沢氏が「軽出版」という言葉に感じたのはいわゆる「車輪の再発見」。コミックマーケット等の同人誌マーケットでは既にできている自主製作から入稿、印刷、即売会、その後の販売場所の確保の一連の流れが文字主体の出版物にも成り立つことに「(既存の出版)業界の人が気づいていなかった。オタク業界と堅い出版業界の乖離をめちゃくちゃ感じた」との見方を示した。ちなみに海猫沢氏は文学フリマ以外にも技術書典、コミティアとの即売会にも出展しているが同じ商品を並べても「クラスター(層)があっていない限り売れ方はまったく違う」という。
軽出版はこれまでの出版を置き換える新しいもの“ではない”
軽出版の一つの定義である100~1000部は、既存の出版流通からみれば決して多くはない。仲俣氏は「意外と見落とされ軽く見られているけれど、ちゃんとやると(それだけでは)食ってはいけないけれどボーナスくらいの収入にはなる」。吉川氏も文学フリマに出展し対面販売してきた文筆家からすると「手応えのある、やりがいもある」ことを実感できる規模感だという。
軽出版は「重出版に対するカウンター(対抗)」(海猫沢氏)と思われがちだが、仲俣氏は重出版を頭から否定していない。最近、仲俣氏は「軽出版がこれまでの出版を置き換わる新しいものか」を聞かれるが、そのようには「全然思っていない」と断言。小説やマンガなどボリュームのあるものは読者も多くページ数も長くなるため軽出版に不向きであること、また、マンガなどは既にコミックマーケットなどの市場があることからも軽出版という言葉は「取扱い注意」で、zine、リトルプレス、同人誌の文脈で考えると「齟齬が大きい」と指摘した。
仲俣氏が軽出版をする上で強調したのは「自分でIP(知的財産)を管理できる楽しさもある」こと。その点、小説、エッセイを主体に発表している海猫沢氏は昨今、とくにエッセイ集などは売れないため初版部数や印税率が低く抑えられていることを明かし、文学フリマが販売の場所として機能しだしたことを受けそちらでの販売に強く関心を向けている。「今はKADOKAWAのメディアミックスのように(他の出版社等も)IPを最大化しようとしているが、純文学業界はIPの世界からこぼれ落ちていた」ため書き手自らがさらに二次展開できる可能性があることを示唆した。
PDF版先行発売で印刷代に充当
実際に軽出版はいかほどの収支になるのか。吉川氏の『人文的、あまりに人文的──同人版』は文学フリマ1日で300冊販売。1冊500円でかなり安価な値付けだが、製作費が12万円ほどで「お小遣い程度にはなる」。仲俣氏の『橋本治「再読」ノート』は文学フリマで67冊だったが、神奈川近代文学館の特別展「帰って来た橋本治展」(2024年3月30日~6月2日)では会場への委託分で250冊販売し、現在まで2回増刷し1400冊つくり1100冊販売済み。具体的な内訳は「原価1割・印税1割・編集費1割・デザインと販管費1割・流通マージン3割とすると残りの3割が利益。40~50万円ぐらいの利益」。販売を文学フリマだけ終わらせないように複数拠点や関連イベント等を活用している。海猫沢氏の700頁の大作『ディスクロニアの鳩時計』も文学フリマで在庫保有分をのぞき売れている。
物理的に保管場所が必要な印刷版の在庫管理も軽出版には欠かせない。吉川氏は「(在庫は)玄関のちょっとしたスペースに段ボール箱を積みあげて、そこからちょくちょく発送する感じ。何号も続くとしんどくなる」とやや苦労中。海猫沢氏は利用する「BOOTH」の倉庫サービスをつかい、製作部数の半分を委託(半分は文学フリマ会場に直送)。「異常な安さだし、そのインフラはでかい」。執筆・編集以後の実作業として必須ながらも手間を要する梱包や発送も「お金に替わるとわかると元気がでる」(仲俣氏)。
軽出版を継続的にするには資金繰りも重要だ。「(軽出版は)本業のかたわらだから赤字にできない」仲俣氏は、電子版と紙版制作の時間差をうまく組み合わせて原価を回収している。印刷版が出来上がる前にPDF版を先行発売し、20~30冊ほど売れることですぐにキャッシュが確保でき印刷代に充当する。また、BASEが将来の売上予測に基づき一定額を融資する資金調達サービスも利用することで、「(印刷版の)本ができたときには製造原価はリクープできるモデル」と説明した。
コミケ同人作家に比べ、我々は甘やかされてきた
これからの軽出版を考える上で重要な指摘は、海猫沢氏が提起した「社会性」をどう担保するかだ。同氏が軽出版した『ディスクロニアの鳩時計』は、既存の重出版でだすよりも「倍から3倍くらい」儲かっているが、実践してわかったのは「社会性がない」こと。
「20年作家業をしてきて出版社が5000部とか3000部をつくった波及効果でいろんな仕事がまわってくる。(『ディスクロニアの鳩時計』のような)4000円の本を500部買ってくれるのはありがたいが、コアな人だから広がらない。この500人に売り続けることはできるかもしれないけど、もうちょっと長い目でみると3000、5000部の仕事と両方やらないといけないのは間違いない。その500部も20年の蓄積でつくられているから、最初から500部をやるのは難しい」と見通す。最初から少部数制作のコミケ同人作家と比べて「我々は甘やかされてきた」との反省は、軽出版がどのように届けるべき読者を開拓していくかを考える上で重要な点だろう。
既存の出版市場を構成する仕組みが機能不全といわれるなかで、軽出版は書き手の一つの生存戦略として今後も実践例が増えていくだろう。登壇した3氏の発言は、重出版か軽出版のどちらかに最適解があるのではなく、両方を経験し試行錯誤する現時点での暫定解である。その取り組みに学ぶとき、仲俣氏の「軽出版の領域で伸び伸びできるプレイヤーがいるのではないかという気がしている。方法論を共有したい気持ちが強い」という言葉に励まされる書き手も多いはずだ。