夏目漱石『草枕』―― 松岡正剛の電読ナビ

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8月26日号(最終回)

 15世紀のグーテンベルクの活版印刷機発明以来、人はみな「グーテンベルクの銀河系」に住んでいる、とマクルーハンは言いました。集団の場で共有されていた口伝の物語は、活字となって個々に伝わることで「個人」の発生を促した、また、それまで音読されていた本が、このころから黙読され始めて、読書が心の中の行為になり、「無意識」さえ生まれた、と言うのです。わたしたちが知の道具として使っている「本」は、わたしたち自身のあり方さえも動かしているメディアなのですね。

 いまから何世紀のあとに未来のマクルーハンが本を書いたとしたら、21世紀は本の知をいかに電子メディアが拡張していったか、人はどのように変わったかをたくさんの例証で表すことでしょう。わたしたちはそんなエキサイティングな時代に生きているのです。

 この連載は、電子の中に生まれた『千夜千冊』という、「本」をめぐる人間の知の壮大な物語を紹介してきました。最後は、近現代日本の読書のイデアとも言える夏目漱石の一夜を取り上げましょう。独創のピアニスト、グレン・グールドが最も愛した小説です。漱石がなぜ日本人の奥深く生き続けているかの理由が描かれています。

 こんな、まだまだ汲みきれない本の知を次代に伝えていくことができるのが、電子の力。それを得たことは、まさに大いなる贈り物なのかもしれません。

『千夜千冊』第0583夜 2002年07月18日

夏目漱石『草枕』(岩波文庫、新潮文庫ほか)

 漱石は「アンコンシアス・ヒポクリシイ」(無意識の偽善)を考えていた。すでに『三四郎』に芽生え、『それから』で抱き込み、『こころ』では主題になった。

 ぼくは長らくこの「アンコンシアス・ヒポクリシイ」に向き合った漱石像から脱却できなかった。いや、脱却できないのを悔やんでいるのではなく、それはそれで漱石の読み方なのであろうが、そうではない漱石に気がつくのが遅かったというだけなのだ。

 その、そうではない漱石というのが『草枕』なのである。

 「余」は旅の画工のようだ。その画工がふと考えた。

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 有名な冒頭の文句である。智も情も意地も結構だが、使いすぎや刺しすぎでは困るというのが言い分だ。が、このあとがある。「人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい」「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る」というふうになる。さらに「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」と続く。

 これは芸術至上主義のような「余」の宣言である。ウィリアム・ブレイクやジョン・ラスキンが好きだった漱石らしく、この世のどこにも待っている柵(しがらみ)からちょいと出て、詩画の佳境というものに転じようというわけなのだ。

 しかし、この芸術至上主義の漱石にはぼくの食指はさほどうごかない。わざわざ漱石を借りることもない。漱石から知りたいのは西欧のイデアやアートなどではなく、むしろ日本というこの世で、はたしてどのように遁世をするかということなのだ。漱石自身、すでにロンドンにいて「色々癪に障る事」ばかりが気になった。

 ヨーロッパが癪なら、そこを去ればいい。けれども日本にいて日本の癪からどう脱出するかというと、そこで西欧の芸術に逃げたのでは始まらない。むしろ日本の奥へ行く。『草枕』とはその奥への遁世の仕方の文学なのである。そして、『草枕』が繰り出す趣向の選択のほどが、かつてのぼくが知らなかった漱石だったのだ。

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