滝沢馬琴『南総里見八犬伝』―― 松岡正剛の電読ナビ

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8月12日号

 お楽しみいただいた本連載も、今回含めてあと2回で終了となりました。そこできょうは、1年前、『千夜千冊』の1000冊到達まであと2冊を残した、ぎりぎり瀬戸際の第998夜に書かれたこの一夜を紹介しましょう。岩波文庫で10巻分もの分量、また、30年もの歳月を掛けて書き継がれたというおそるべき大河ぶりを誇る物語。江戸の戯作家馬琴が生涯をかけて描いたのは、15世紀、室町日本を舞台にした“侠気するいのちたち”の文学でした。この夏、忘れられない記憶をつくる幽玄テキストワンダーランドへ、いざ、参りましょうか。

『千夜千冊』第0998夜 2004年7月2日

滝沢馬琴『南総里見八犬伝』(全10冊)(岩波文庫)
 (‥いまや玄月翁は男の身でありながらの産みの苦しみというものに、この世もかくやというほどの七転八倒、この産む身の母なるものの、もぞもぞとした感覚は何かと尋ねる暇もなく、ふらふらと書庫を彷徨ったかと思うまもなく、一冊二冊、五冊十冊と江戸戯作の書棚から妖しい一群を取り出して、ついには机上に曲亭馬琴の壮観を並べ立てたのでありました‥)

 (ば、馬琴ですか‥バキン‥?) そうです。馬琴です。曲亭滝沢馬琴です。いま、馬琴を読む人はいますかねえ。ほとんどいないかもしれませんね。まあ雅文俗文を駆使した和漢混淆体の文章だけでも、後ずさりするかもしれないね。でも、とりあえずは現代文になったものを読めばいいんです。それでも『八犬伝』のおおまかな凄さはわかります。それから原文に入っていくといい。

 (でも、今夜は、その、いよいよの‥) なんといっても鴎外はね、「八犬伝は聖書のような本である」と言ったんです。こういうことは伊達では言えません。だってノヴァーリスになって、こう言うしかないわけですからね。『八犬伝』は聖書なんですよ。それにしても聖書をもちだされたとは、それも鴎外によってとは、馬琴もさぞかし冥利に尽きるでしょう。(ええ、でもセンセ‥)

 『八犬伝』は読本(よみほん)ですね。だから読本を楽しむという読み方が必要です。稗史ですね。馬琴は100巻をこえる夥しい数の黄表紙や合巻も書いていますが、やっぱり読本が濃い。(はあ、こゆい‥)

 それでもこれらは、いまでいうなら大衆文学で、直木賞の範疇になる。けれどもいまどきの大衆文学作品で、これは聖書だなんて言えるものはありますか。ちょっとないでしょう。どんなものがあるかと、いまふと思い浮かべてみましたが、まあ、たとえば大西巨人の『神聖喜劇』や車谷長吉の『赤目四十八滝心中未遂』、それからごく最近の阿部和重が山形の町を舞台にした『シンセミア』など、いい出来ではあるけれど、やはり聖書とはいいがたい。

 ではなぜ、鴎外はそんな大衆文学のひとつの読本の『八犬伝』を聖書などと大仰に思ったのかということですね。そこを知りたいでしょう。(べ、べつに‥) それはね、そこに「天」があるからですよ。(えっ、天がある? でもセンセ‥)

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