《この記事は約 3 分で読めます(1分で600字計算)》
7月8日号
きのうは七夕。『千夜千冊』が4年半かかって1000冊に到達したのは、1年前の7月7日の夜でした。記念すべき第1000夜には、どんな本が登場するか? とあるブログが開いた予想投票には、たくさんの参加がありました。それぞれが『千夜千冊』の本すべてをふまえて、熱くコメントする大予想バトルとなり、本をめぐる知のイベントはこんなに盛り上がるのか、と大きな反響を呼んだのです。ちなみに一番人気は紫式部の『源氏物語』。なるほど、の結果でしたが、松岡正剛が選んだ本は、この『良寛全集』でした。第1夜中谷宇吉郎の「雪は天からの手紙である」という『雪』からはじまった『千夜千冊』は、淡雪が舞う良寛の風景をもって結ばれたのです。
『千夜千冊』第1000夜 2004年7月7日
良寛『良寛全集』(東郷豊治 編/東京創元社)
↓いそのかみ ふりにし御世に ありといふ
↓猿(まし)と兎(をさぎ)と狐(きつに)とが
↓友をむすびて あしたには
↓野山にあそび ゆふべには 林にかへり
良寛の書について一冊書き下ろしてくれませんか、と言ってきたのは古賀弘幸君だった。
彼はぼくが良寛に惚れきっているのをよく知っていて、おりふし、良寛の書は打点が高いんだよ、良寛はグレン・グールド(980夜)やキース・ジャレットのピアノによく似合うよねといったような感想を言っていたのを、おもしろがってくれていた。チック・コリアはどうですかというので、うーん、それは比田井南谷かなあと言ったら、手を叩いておおいに喜んでくれた。
こういう言い方は、古谷蒼韻による「マイヨールとジャコメッティから水分を涸らしていくと良寛になる」といったたぐいの感想と同様で、当たっているとも当たってないともいえる。この蒼韻の感想にしても、マイヨールとジャコメッティ(500夜)が一緒になっているところがよくわからない。
それでも古賀君は、そういう感想が書道界にはあまりにも足りなくなっているので、ぜひ書けというのだった。
たしかに良寛を評して、昭和三筆の鈴木翠軒の「達意の書」や日比野五鳳の「品がいい」や手島右卿の「天真が流露している」だけでは物足りない。そもそも良寛の書は達意ではない。焦意(焦がれた筆意)であろう。
書の批評というもの、たしかにあまりに言葉が足りない。禅がおもてむきは「不立文字・以心伝心」といいながら「修行の禅」にくらべて「言葉の禅」が劣らぬように、存分に言葉を豊饒高速にしていたように、書も「見ればわかる」「この三折法はなっていない」「純乎たる書風だ」などというのでは、とうてい埒はあかない。
そこには水墨山水をめぐって多大な言葉が費やされてきたように、また江戸の文人画に幾多の言葉が注がれてきたように、それなりに多彩でラディカルな「言葉の書道」というものが蓄積されていかなければならず、とくに良寛の書ということになると、これは究極の相手なのである。よほどの言葉さえ喉元でつまってしまう。
それを急に期待されて、一冊にしてほしいと言われても困るのだった。
【続きはこちら】
中野孝次『良寛 心のうた』
良寛に生き方を探し、日本人の生活を問い直した『清貧の思想』の著者による歌解説。
『金谷上人行状記 ある奇僧の半生』
良寛とはちがったタイプながら、天衣無縫さでは通じる幕末のある僧の楽しい物語。
瀬戸内寂聴『花に問え』
一遍上人と尼僧の超一の姿に無限の自由を見る、京都の老舗旅館の女将の心の軌跡。