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2月11日号
『千夜千冊』には、人文系の本ばかりではなく、宇宙物理、数学をはじめ、自然科学の本がたくさんあります。『どんな「思想」も「表現」も、その起源には宇宙観が関与している』(1001夜(2))とあるように、本の知の全体をあらわす『千夜千冊』では、文の領域と理の領域の交差が重要な要素となっているんです。そこで、今回は日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹を取り上げたこの一夜を紹介しましょう。現代理論物理学の黎明を担った湯川氏との交流の中で、松岡正剛が受け取った知は、先端科学の高速果敢な理論だけではなく、日本的な仏教を創成したはるか平安の空海や江戸後期の独創的な思想家、三浦梅園らの名ともつながっていたのです。
『千夜千冊』第828夜 2003年7月31日
湯川秀樹『創造的人間』(筑摩叢書)
湯川さんからの何枚かの葉書がどこかに残っているはずだ。久々に見たいと思っているけれど、まだ探してはいない。この字がなんともいい。万年筆によるものではあるけれど、芯があって、かつ四方八達に微かに動いている。聞けば、小学校のときに山本意山に書を仕込まれていた。意山は楊守敬に師事した書家である。
お父さんは中国歴史地理学の小川琢治、お兄ちゃんが古代中国史学の貝塚茂樹、さらには弟が中国文学の小川環樹だからというのでもないが、湯川さんは根っから漢詩が好きだった。ところが12歳のころにはすでに孔子が嫌いで、はっきりと老子や荘子を面白がっていた。のちに老荘思想や芭蕉の思想を理論物理学にとりこんだのは、このときからの萌芽なのである。
漢詩ばかりではなかった。俳句は知らないが、短歌もうまい。いや、ちょっと深甚で、かなり放埒だった。
弟がもしやゐるかと復員の兵の隊伍にそひて歩みし
暗き道に犬うづくまり小溝には蛙なくなりもの思ふ道
案内の老女のほかに人けなし畳の上に貂(てん)の糞して
三高で読みはじめた西田幾多郎が、進学した京大では毎週「哲学概論」を担当していた。湯川さんは岡潔の微積分と西田の哲学に没頭しつつ、プランクの『理論物理学』全5巻、ボルンの『原子力学の諸問題』とシュレディンガーの『波動力学論文集』に首っぴきになっていく。とくにライヘの量子論に生涯でもあまり類のないほどのショックをうけたという。
この感覚が湯川秀樹なのである。岡潔、西田ときて、その上にライヘ‥‥。プランクやボルンやシュレディンガーでは当たり前だろう。それがライヘに振られる。ここが、一筋縄ではない。
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