ステファヌ・マラルメ『骰子一擲』―― 松岡正剛の電読ナビ

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ステファヌ・マラルメ『骰子一擲』(2月28日号)

 今日ご紹介するのは、本による広大な知の世界を紹介する千夜千冊でも、書物そのものに深く迫った格別のテキストです。19世紀フランスの象徴詩派の詩人、マラルメの『骰子一擲(とうしいってき)』がその一夜。7種類の活字を使い、詩篇を特殊な組み方によって見開き11面に配分した、マラルメ晩年の最も冒険的な作品です。千夜千冊は、マラルメを詩人としてだけではなく、「書物」と「流行」という概念を見出した先覚者として、また、その詩の背景にあった「絶対書物」のプランがいったい何であるかを、1行の詩篇のような言葉を挟み込みながら描きます。人間が作り出した「書物」というもの、まだまだ汲みきれない深さと奥行きを抱えているんですね。

『千夜千冊』第966夜 2004年4月15日

ステファヌ・マラルメ『骰子一擲』(秋山澄夫 訳/思潮社)

 投-企。そして方法。

 一擲が詩になる。詩が一擲になる。そのどちらも、詩を何かに貼り付けたからできるのだ。

 マラルメにとって、詩が方法なのではなく、方法が詩であったのだ。その方法がどこにあったかといえば、紙に付いていた。

 類形同似、だって。

 オクタヴィオ・パスは、「フランス語はそのリズムの貧しさにもかかわらず、マラルメのおかげでこの半世紀のあいだに、ドイツ・ロマン主義が実質的に内蔵してきた可能性を展開した」と書いた。
 マラルメのおかげで、というところ以外が当たっているのかどうかは、知らない。とくにフランス語のリズムが貧しいということは。ドイツ・ロマン主義との関係も、ノヴァーリスには強く惹かれていたけれど、とくに濃い線を引けない。

 むしろマラルメがオクタヴィオ・パスに与えた影響が大きい。そこだけを強調しておいたほうがいい。そのつながりにこそ濃い引き込み線があって、それは「イゾモルフィスム」(類質同形性)という引き込み線であるからだ。

 キリンは麒麟。

 イゾモルフィスムとは類似を繋ぐこと。類似は類似を呼ぶこと。マラルメにとっては、言葉が発するすべての類似の内側で、外なる類似をできるかぎり繋ぐこと。

 これはかつて象形文字そのものが知っていたことで、ライプニッツが「モナド」と呼んでみたかったものでもある。ただし、マラルメのモナドは文字のモナドで綴られた。

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