黒岩涙香『小野小町論』―― 松岡正剛の電読ナビ

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黒岩涙香『小野小町論』(3月18日号)

 きょう3月18日は、精霊(しょうりょう)の日。万葉時代の最も優れた歌人、柿本人麻呂、平安王朝文化の立役者的な歌人・和泉式部、そして絶世の美女歌人で薄倖の生涯が伝わる小野小町の3人の忌日とされていることが由来です。そこで今回選んだのはこの一夜。明治中期の東京で最も発行部数が多かった新聞『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊したジャーナリスト、黒岩涙香のロマンティシズムあふれる小町論です。涙香は欧米文学の紹介にも熱心で、デュマの『厳窟王』やユゴーの『噫無情(ああむじょう)』、さらにH・G・ウェルズらのSFまで翻訳して、日本の少年少女たちを一気に物語中毒へといざないました。まさに涙も香る熱情文体で紹介される、大時代的な小町モノ語りは、果たしてあなたのキモチも捕らえることができるでしょうか?

『千夜千冊』第431夜 2001年11月30日

黒岩涙香『小野小町論』(1913朝報社 1994現代教養文庫)

 平塚雷鳥が『青鞜』を創刊したのが明治44年である。時機と流行を見るに敏感きわまりなかった涙香は、さっそく「婦人覚醒の第一歩」という論文を寄せた。

 オットー・ワイニンゲルの「女が男に貞操を許せば、許すと同時にその男に軽侮される端緒をつくる」という説の紹介だったが、このときに、では日本でもそういうことがあてはまるのか、日本で独身を守り抜いた女性はいるのかという質問に出会って、ふと思いついたのが小野小町だったようだ。

 さっそく『淑女かがみ』に小野小町論を連載する。のちの『婦人評論』にあたる。当時は“新しい女”とか“婦人矯正運動”ともよばれた気運に乗った執筆だった。

 気運に乗じたとはいえ、小野小町論と銘打っただけあって、これはかなりの文献を縦横に駆使した歴史評伝である。

 のちに中里介山が小説『小野の小町』を書くのだが、それよりはるかにおもしろい。とくに小町が深草の御門が着位する前の正良親王に恋をしていたという推理、藤原一族による小町落としの陰謀についての推理、小町と衣通姫との関連に関する推理などは、いまでもおもしろい。ときどき脱線して紀貫之の古今集の序の意図を考察し、真名序と仮名序の本質をポンと言い当てたりもする。

 そのころ一方で流行していた、いわゆる稗史ものとも違っている。が、この小町論の印象は用意周到というより、次から次へ、話題を片っ端から机上に載せるというふうで、小町に関するすべての疑問の責任をとろうとしている以外の論旨というものがおよそ感じられないようにもなっている。ふつうに読めば、そういう感想も出てきそうな、そんな印象なのでもある。

 これはおそらく文体のせいでもあって、なんというのか「くねくね」して「ぐいぐい」している。変な演説のようなというか、いまどきはお目にかかれない論調なのだ。しかし、この演説調ともいうべき文体こそは、涙香の真骨頂だった。

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