メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』―― 松岡正剛の電読ナビ

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3月11日号

 名作古典の中では、よく知られているわりにはちゃんと読んだ人をあまり見かけないという本がたくさんあります。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』しかり、ゲーテの『ファウスト』しかり、メルヴィルの『白鯨』もそうですね。今日はそんな読まれざる傑作の中でも、ヴィジュアル的には超有名な、あのシェリー夫人の『フランケンシュタイン』を紹介しましょう。『千夜千冊』は、現在でもいくつものスクリーンに現れる「フランケンシュタイン・テーゼ」から始まり、この“怪物”がドラキュラとともに生まれた、19世紀初頭のジュネーブ・ディオダディ荘の一夜を通って、疎外という人間そのものの悲哀に向かう、目眩く螺旋階段のような一夜となっています。

『千夜千冊』第563夜 2002年6月20日

メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(山本政喜訳/角川文庫ほか)

 リドリー・スコットの『ブレードランナー』を観たとき、これがフランケンシュタイン・テーゼの新たな発展であることがすぐに伝わってきた。

 ということは、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』がフランケンシュタイン・テーゼの思索の重要な成果だったということである。

 その10年前、ティム・カリーの『ロッキー・ホラー・ショー』を観たときも、そこにフランケンシュタイン・テーゼが如実に生きているのを知った。電気魔法がいっぱいに効いて、嬉しくなるほどの傑作だった。そのほかヴィクトル・エリセの『ミツバチのささやき』にも、アンディ・ウォーホルとポール・モリセイの記念碑的ホラー映画『悪魔のはらわた』にも、フランケンシュタイン・テーゼがつかわれていた。きっと数多くの映画作品がこの伝統を守り、そこに新たなクリーチャーの誕生と二重意識の課題を描こうとして、この普遍のテーゼに取り組んだことだろう。

 怪物が出てくるからではない。フランケンシュタイン・テーゼとは、ジョン・ミルトンの「失楽園テーゼ」を母型としているということである。人間が人間の社会から追放されるとは何かということなのである。

 実はこのようにフランケンシュタイン・テーゼがさまざまな場面に活用可能なことを普及させたのは、第538夜で採り上げた『地球の長い午後』のブライアン・オールディスだった。

 オールディスは『十億年の宴』(創元社)というすばらしい超SF史をエドマンド・バークの「サブライム」(崇高)をコンセプトにして綴り、その後のSFファンタジーが進むべき道を傲然と照らしてみせた。

 その劈頭の栄光を飾ったのがメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』なのである。

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手塚治虫『ドン・ドラキュラ』
R.L.スティーヴンスン『ジキル博士とハイド氏』
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