山本常朝『葉隠』―― 松岡正剛の電読ナビ

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2月4日号

 1703年(元禄16年)2月4日、302年前のきょう、東京・高輪の熊本藩細川家中屋敷など4ヶ所で、大石内蔵助良雄はじめ47人の元赤穂藩士が切腹しました。午後4時から6時までの間でした。まさに「武士道とは死ぬことを見つけたり」そのものの忠義心として語り継がれる赤穂浪士の討ち入り事件。しかし、この言葉を生んだ『葉隠』は、実は武士道を意外なキーワードに求めているのです。それは”忍ぶ恋”というもの。非戦時下の江戸時代、本書が本当に伝えたかった武士の本来を「千夜千冊」が解き明かします。

『千夜千冊』第823夜 2003年7月24日

山本常朝『葉隠』(松永義弘訳/ニュートンプレス)

 卑怯とは何か。卑しく怯むこと、それが卑怯であろうけれど、卑怯から遠のいて生きることほど難しいものはない。

 かつて、どんな卑怯をも許さない社会があった。徳川の武士の日々である。そこでは藩主と家来のあいだで、家と武士のあいだで、武士と武士のあいだで、卑怯という言動いっさいとの果敢すぎるほどの闘いが進行していた。乃木希典の自害の夜をもって、森鴎外がこの徳川社会の人間たちの生き方に自分の文学の荷重のいっさいをかけて、『阿部一族』などを書いたことは、すでに第758夜にも書いておいた。

 鴎外から一転して三島になるが、三島由紀夫の学生時代の愛読書は3つあったそうだ。レイモン・ラディゲ『ドルヂェル伯の舞踏会』、『上田秋成全集』、そして『葉隠』である。

 その三島が自決の3年前にカッパ・ブックスに『葉隠入門』を書いた。すぐ買ってなんとなく読んだのだが、ずっと「花は桜木、男は葉隠」と聞いてきたわりに、いまひとつ感動がなかった。あの『太陽と鉄』と同じ三島の書きようとは思われない。原著ではないのだから、そういうこともあるだろうと思っていた程度だったが、しばらくして『葉隠』そのものを読んで、やはり三島の読み方には何かが欠けている。読み方が焦っていて、しかも学生時代からの愛読書というわりに、やっとこさっとこ言い替えを急いでいるという感じがしたのだ。

 しかし、三島は卑怯をこそ蛇蝎のように嫌った人生をまっとうしてみせた人である。誰も三島から卑怯を引き出せない。けれども、それを『葉隠』の主旨の実践だとは思わないほうがいいとも言うべきなのである。三島の生き方と『葉隠』に何が書いてあるかということは、必ずしもぴったりは重ならない。ところどころは、逆向きになっているところさえあった。

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宮本武蔵『五輪書』
森鴎外『阿部一族』
大佛次郎『四十八人目の男』
セルバンテス『ドン・キホーテ』

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