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一夜一冊、4年半にわたって書き継がれ、2004年に千冊に到達した「松岡正剛の千夜千冊」は、文芸、科学、思想、アートなど幅広いカテゴリーの本を卓抜なテキストでガイドするweb最高のブックナビゲーション・アーカイブです。この中から毎週1冊をセレクトし、『千夜千冊』の抜粋と関連書紹介で、あなたの電読生活を強力応援します。第1回は、新札登場で脚光を浴びる、明治の驚くべき女性が生んだ、不朽の小説をどうぞ。
『千夜千冊』第638夜 2002年10月15日
樋口一葉『たけくらべ』(集英社文庫ほか)
ひょっとして日本の小説のなかで『たけくらべ』に一番の影響をうけたかもしれない。
読んだ時期が思春期の真っ只中であったこと、雅俗折衷の文体が西洋モダニズムを知った直後の意識にとってかえって清冽であったこと、そしてなによりも、信如における美登利へのおもいが美登利の邪険に切々と表象されていることに感応したためだった。
のちのち『フラジャイル』の執筆を計画したとき、その遠い日の『たけくらべ』の読感記憶をこそフラジリティの感覚の由来のひとつにおきたくて、ぼくはこの名作から「葛藤」と「邪険」という二つの言葉だけを引き出した。
この二つの言葉はまた、ぼくが長きにわたって少女や女性にひそむ本懐だと思えていたものだった。
吉原大音寺町あたり。8月20日は千束神社の祭礼である。山車屋台に町々の見得をはり、土手から郭(くるわ)までなだれこむ勢いで、若衆ばかりか子供といっても油断がならない。
横町の頭(かしら)の子の長吉は、金貸し田中屋の正太の乱暴が気にくわない。けれども知恵のない長吉は後ろ盾がほしくて、龍華寺の信如に「今夜は大万燈を振ってくれ」と頼む。
信如は「だって僕は弱いもの」と言う。ここから一葉のフラジリティをめぐる描写がはやくも滲む。長吉は「弱くてもいいよ」とこたえ、信如が重ねて「万燈なんぞは振り廻せない、僕が入ると負けるがいいかえ」としりごみする。そこを長吉はまた「振り廻さなくともいいよ、負けてもいいのさ」と続ける。まことに少年の心を掴んだ一葉の忖度だ。
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