[先着20名] カラ・ブラン ー黒き砂嵐ー

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湊 令子さんから「カラ・ブラン ー黒き砂嵐ー」の献本です。
言い値書店にて販売されている歴史小説です。

カラ・ブラン ー黒き砂嵐ー
カラ・ブラン ー黒き砂嵐ー

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湊 令子さんからコメント

「黒き砂嵐ーカラ・ブランー」歴史小説=西域史 湊令子作(400字換算150枚)PDF
パオの入口に佇んで向き合うゴビの沙漠は、まだ収まりきれない砂塵に厚く覆われて、曇天のように陰気に閉ざされていた。暗灰色の空は陽の光も漏らさず、風になぎ倒されたタマリスクの茂みが、わずかな起伏をみせた。保大四年(1124)甲辰、秋七月、遼王朝(916〜1125)の滅亡を目前に、主君耶律大石(やりつたいせき)(1087〜1143)に従ってわずか二百騎、不毛の沙漠を西へ西へと流離の一歩を踏み出してから早や五年、それより先、南都燕京の町はずれで、大石との宿命的な出会いをもった日から数えれば、すでに十年に近い歳月が流れていた。今、こうしてわずかな部下を供に、意に添わぬ漢土への帰路を辿っている。ひとたび胡沙吹けば、たちまち万丈。古来西域と呼ばれる天涯の果てに、新天地を求めて漢土を去ること数万里。そこは流砂の沙漠と峻厳たる連山だけの苛酷な原野だった。主君耶律大石が目指すスルタンの国、サマルカンドまではいったいどれほどの行程であろうか、李元璋は、ビシュバリクでかいま見た不確かな西方の地図を瞼の裏に描き直す。北海の湖上をわたって吹く風は厳しく肌を刺し、アルタイの山脈にあたって吹き下ろす朔風は雪を運び、大地を深く凍らせるのだろうか。それとも水温む春には凍土も融けて、草原に白草の萌えたつこともあるのだろうか。遠い先祖の昔、西域という大舞台を踏んで登場した歴史の動因者たち。荒漠たるモンゴル高原を馬駆けてひた走り、あるいは荒茫とした深い流砂を駱駝の背にゆられながら往来した胡人たち。その沙漠の民たちの激しい血潮が、再び大石のなかに甦り、いま大石を駆りたてて西域の胡沙を舞台に、新しい一大史劇を演出さそうというのであろうか。

(歴讀ジャーナル「歴史文学の芽」船山光太郎評)「カラ・ブラン」(湊令子)は、1130年の春、西域に西遼国(カラキタイ)を創建して、東西トルキスタンを領有した耶律大石を、彼の臣であった李元璋の眼から語る壮大な興亡史である。耶律大石は契丹国、遼王朝の太祖八世の孫で、進士に及第して翰林院の官となり、天祚帝が金軍に追われて西走した後は、皇叔の耶律淳を立てて燕京(北京)を守ったが、破れて金軍の捕虜となる。やがて嵐の夜に十数騎で脱出した彼は、天祚帝に見切りをつけて自立の道を歩き出す。砂嵐の吹き荒ぶ西域を舞台にくりひろげられる、人間の闘争と流転の運命を、歯切れのいい上質な文章が、詩情豊かに謳いあげている。物語は李元璋ともう一人、王世充を語り手として進められるが、この配慮は複雑な政情を説明するだけでなく、戦い疲れた二人の武将の姿に、人間の孤独の深さも見せてくれる。脂ののった作者の力のこもった作品であった。

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