AIによるコミック翻訳。ドワンゴとMantraが目指す「コミック市場の国境超え」

【写真】取材の様子(Zoomの画面)
左上:Mantra株式会社 代表取締役 石渡祥之氏、右上:Mantra株式会社 広報担当 船越華子氏、左下:株式会社ドワンゴ 齊藤宗敬氏、右下:株式会社ドワンゴ 柳瀬直裕氏、中央下:西田宗千佳氏(フリージャーナリスト)、中央上:HON.jp News Blog 編集長 鷹野凌
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 電子書籍ストア「BOOK☆WALKER」と「台湾BOOK☆WALKER」は5月15日から、Mantra株社会社の協力によりマンガ同人誌を自動翻訳付きビューアで閲覧できるようになりました。これはどのような取り組みなのでしょうか? 事前に取材する機会をいただきました。取材・執筆はフリージャーナリストの西田宗千佳氏です。(編集部)

編集部より関係性開示:株式会社ドワンゴには、HON.jpの法人会員として事業活動を賛助いただいています。しかし、本稿は対価を伴ったものではありませんので、公開前のチェックは一切受けていません。

日本と台湾のマンガ同人誌が相互に越境販売

 日本と台湾の電子書籍市場を結ぶ取り組みが動き出している。

 株式会社ドワンゴが運営する電子書籍サービス「BOOK☆WALKER」は、コミック特化のAI翻訳スタートアップMantra株式会社とタッグを組み、同人誌の日本・台湾での相互販売を本格化する。またここではAIによる自動翻訳がセットで使われ、言語の面でも「越境」販売となる。

 どのような経緯でスタートしたのか、そしてどんな形になっているかを聞いた。

日本と台湾の漫画を自動で「翻訳」し電子出版

 まずは以下の画像をご覧いただきたい。

【画像】マンガを画面で表示した状態
© 頸椎『黑貓你欠我的大便呢!?(1)』 / 左上の水色部分が選択された文章で、下部に翻訳が字幕表示される

 これが、BOOK☆WALKERで行う、台湾の同人誌からの自動翻訳だ。ベースとなる同人誌コミックの版面はそのままに、各コマの吹き出しの内容が下部に翻訳された形で表示されている。

 逆に、日本のコミックを台湾のBOOK☆WALKERで見た場合にも、同様に下に翻訳された文章が出てくる。

【画像】マンガを画面で表示した状態
© 三月館(さえぐさじゅん) 『ぴ~とちび魔女』 / 左上の水色部分が選択された文章で、下部に翻訳が字幕表示される

 シンプルと言えばシンプルな仕組みだが、漫画を読む、という意味ではこれで十分でもある。コストと見せ方と利便性、それぞれのバランスを保ち、「自動的に翻訳版が提供される」という意味では、現状良い落とし所なのではないだろうか。

なぜ今、「同人誌×自動翻訳」なのか

 実は、BOOK☆WALKERの台湾版は、すでに10年近い歴史を持つ。サービスの中には「日文書」というコーナーがあり、日本語の漫画や雑誌をそのままの言語で台湾のユーザーに販売してきた。

【画像】台灣BOOK☆WALKERをブラウザで表示した状態
日文書一覽 BOOK☆WALKER 台灣漫讀 / 電子書平台

 これが思いのほか売れていたという。ドワンゴ・ブックウォーカー開発本部 本部長の柳瀬氏はこう振り返る。

「日本の本に対する需要は、元より相当あると認識していました。『日本の漫画が読みたくて日本語を覚えました』という人も多いですし、ですから、日本語のものをそのまま売っても、かなり売れていたんです。だとすれば、ここに翻訳をのせたらなおさら売れるよね……とは、当然のように思っていました」(柳瀬氏)

 当然と言えば当然の発想だ。だからこそ、海外への展開を翻訳なしでも読まれる。なら翻訳がつけばさらに売れる——その確信があったからこそ、自動翻訳の本格導入が検討されるようになった。

 ここで気になるのは、なぜ商業誌ではなく「同人誌」からスタートしたのか、という点だ。柳瀬氏は「許諾が取りやすいところだったから」と説明する。

 ここでいう同人誌とは、他の作品を使った二次創作の方ではない。どちらかと言えば、個人流通している創作作品、と考えた方がいいだろう。権利はあくまで創作した本人にあり、権利許諾についても本人に集約されている。「創作物の個人出版」と捉える方が適切だろう。

 ここが本プロジェクトにおける、1つのテーマともなってくる。

 商業出版物の場合、翻訳権はすでに設定されていることが多い。さらにそれをかいくぐり、翻訳権が設定されていない出版物を見つけ出したとしても、出版社を介して多数の作家全員から「AI翻訳での販売」の許諾を取るのは、現実的には極めて困難な作業になる。逆説的に言えば、出版社はそうした作業の窓口になることをビジネスとしているわけで、当然と言えば当然の話だ。

 一方、同人誌は個人出版物。個人出版はまさに「1人1出版社」であり、意思決定が速い。だからこそ、作家と直接交渉できる。

「同人誌という個人出版の場合には、お話はすごくしやすいんです。我々がお声がけした中でも、お断りいただくことは当然あります。しかし、話が通ってやり取りが進むものも多々あります」(柳瀬氏)

 許諾が取りやすく、フットワーク軽く動ける。それが、同人誌を起点にした理由だ。逆に言えば、ある意味で必然でもあったのだろう。

Mantraの技術が切り拓いたアプローチ

 自動翻訳を担当したMantraは、2020年に創業。漫画翻訳に特化した会社だ。そもそも、社名自体が「漫画トランスレーション」の略なのだという。起業以来、最初から漫画翻訳を目指して開発を積み重ねてきた。

 Mantra 代表取締役の石渡氏は、技術の全体像をこう説明する。

「漫画の画像からコマを検出、さらに吹き出しを検出し、吹き出しごとに文字を自動でどこにどの文字があるのかということを認識しています。さらにそこから機械翻訳する技術も作っています。次のステップとしては、翻訳したテキストデータを元の絵の中に綺麗にはめ込むことになるでしょうか」(石渡氏)

 吹き出しの検出に文字のOCR、翻訳といった一連のパイプラインすべてをMantraが担当し、彼らの持つ技術でシステムを構成しているわけだ。

 翻訳エンジン自体も、以前と現在では大きく変わっているという。

「今は機械翻訳の仕組みも、1ページずつ翻訳するとか吹き出し1個ずつ翻訳するというやり方ではないんです。全体を読んで登場人物同士の関係を考慮しながら訳すとか、より人間に近いような方式に切り替えています」(石渡氏)

 要は、吹き出しごとに個別翻訳していたものから、漫画全体を読み込ませ、登場人物の関係性や文脈を踏まえた上で翻訳する方式に移行しているわけだ。

 これによって得られるのが「一貫性」だ。

「固有名詞がページごとに異なる翻訳になっていたら、意味がわからなくなっちゃいますよね。誰が誰に喋っているかによって口調が変わったりすることもあると思うんですが、そういう部分も、『誰に喋っているのか』を認識しながらやるとうまくいくようになっています。全体を読んでキャラの関係性なども踏まえた上で翻訳をすると、そうした一貫性をちゃんと担保できるようになってきているんです」(石渡氏)

 こうしたことは、ベースとなる技術がLLM(大規模言語モデル)となり、さらに、画像そのものをマルチモーダルLLMで解釈することによって実現されている。キャラクターの表情や誰が誰に語りかけているかを認識した上で翻訳することが可能になっているわけだ。

 現時点での文字認識精度は「吹き出し内については99%に達する」(石渡氏)という。

 翻訳精度については、Mantraのエンジンによる翻訳を人間の翻訳者が見た場合、修正が必要な吹き出しの割合は10%から40%の間だという。ただし、この数値は作品の難易度によって大きく変わり、精度の高い作品では8割以上がそのままAI翻訳を通過する。そして、その数値は継続的に改善し続けている。

 また、言語間の精度差についても、LLM活用により大幅に縮小してきた。

「少し前までは、言語によって結構差があったんです。LLMを使わない時代の機械翻訳は、言語ごとに機械翻訳のモデルを訓練していく形なので、訓練データがたくさんあるような言語、英語や台湾の繁体字は精度が高くて、他の言語はあんまり高くないという感じでした。しかし今ですと、漫画を読む部分が共通化できてしまっている。直近の実験だと、ほぼほぼ言語間の差はなくなりました」(石渡氏)

字幕形式という選択

 技術的な実現可能性が見えてきた上で判断されたのが「翻訳テキストをどう表示するか」という問題だ。

 現状Mantraの技術では、吹き出し内の文字を翻訳文に「置き換える」ことは技術的に可能だ。しかし冒頭で述べたように、今回の取り組みでは、あえてその方式は採用されていない。元の画像には一切手を触れず、吹き出しの下などに「字幕」として翻訳を表示する形式を選ぶことになった。

 その理由について、柳瀬氏はこう語る。

「吹き出しにそのまま入れることも、サイズなどを自動調整することも、全然できるんですよ。できるんですけど、これは台湾側の方の販売スタッフとも話した結果出てきたのは、『やっぱり100%の保証はできないよね』ということです。完全に置き換えてしまうと、内容に影響が出た場合、置き換えた側の責任と捉えられかねない。置き換える形での販売もできるけれど、やるなら字幕だよね……と。そういう判断になったので、我々は字幕形式でやりました」(柳瀬氏)

 AI翻訳とセリフ置き換えの精度がいかに高くても「100%」は保証できない。オリジナルに手を加えることによって生じるリスクは避けるという判断は、著作者人格権(同一性保持権)への配慮と、翻訳ニュアンスへの責任の所在を明確にするという、二重の意味を持つ。

 完成度の高い技術はあるが、それでも一定の線で抑制する、という選択を採ったことになる。

200冊のテスト販売が証明したもの

 正式スタートの前に、このプロジェクトは約1年間のテスト期間を経ている。日本と台湾の同人誌を合わせて約100冊を試験販売し、技術・オペレーション・ビジネスの三つの面から実現可能性を検証したのだ。

 結果は、予想を上回るものだった。

「1年前にある程度、日台相互で200冊販売し、どこでどのぐらいの問題起きるかを洗い出してみました。でも、結局ほぼ問題なかったんですよ。細かく見れば、我々が把握しきれていないどこかに課題はあるんだと思うんです。しかしお客様的には、『こんな感じだよね』というような判断をいただいているんだと思います」(柳瀬氏)

 クレームはほぼなく、作家からの修正要請もほとんど来なかった。

 さらに、売上という面でも手応えがあった。この具体的な数字は取材時にオフレコとされたが、「毎月一定の金額、日本の同人誌が台湾で売れている」という実績が出ており、台湾側から「もっと作品を増やしてほしい」という声が出ているという。

 今回正式アナウンスに至ったのは、テクニカル面での課題が解消され、オペレーションのパイプラインが確立し、ビジネスとしての持続可能性が見えたという、三つの要因が揃ったからでもある。

 ここまで上手く行った背景には、台湾と日本の漫画文化の近さもプラス要因だった。

「台湾の方が書かれた作品を見ても、日本で我々がよく読むような漫画とスタイルが非常に似ているものが多い」と石渡氏は話す。日本の漫画文化が台湾に深く根付いた結果、コマ割りや吹き出しの形式が極めて近くなっているのだ。

 それがAI翻訳の精度向上に寄与し、相互販売に向いた土壌を作っていた。

「紙でそのまま出せる」品質を目指して

 残る技術的な課題は、吹き出し外の「描き文字」や「オノマトペ」の翻訳だ。吹き出し内テキストの認識精度が99%に達した一方で、効果音や書き込まれた感情語は、まだ完全には対応できていない。

 ただし、石渡氏は改善の見通しについて自信を持っているようだ。

「究極は、紙で出版できるようなクオリティのものを自動翻訳で作ること。それを目指してやっていきたいと思っています」(石渡氏)

 現状、1冊の自動処理時間には約1時間かかっているという。EPUBデータから画像解析して翻訳を行い、専用ビューアー用のデータに変換して販売システムに登録するまでのパイプラインがほぼ整備されたという。結果、こうした処理に大量の人員を貼り付けることなく、粛々と翻訳版を量産できる体制が整いつつある。

 翻訳は、単なる言語変換ではない。漫画という視覚メディアを、異なる言語文化圏に届けるための、繊細な橋渡しだ。それを支える技術は完成に向かいつつあり、日本と台湾の作家と読者をつなぎつつある。

 最終的なゴールは商業出版への展開だ。同人誌での実績とクオリティの証明が、出版社や作家への説得材料となる。この翻訳ソリューションが実際にどう動くかを「現物」として見せることなしには、商業の世界への扉は開かない。実現には複数の扉があるだろうが、今はまさに、1つ目の扉が開いたところではないだろうか。

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著者について

About 西田宗千佳 4 Articles
1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、アエラ、週刊朝日、週刊現代、文春オンライン、AV Watch、Business Insider Japan、ASCIIi.jpなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。主な著作:『デジタルトランスフォーメーションで何が起きるのか 「スマホネイティブ」以後のテック戦略』『ネットフリックスの時代』『すごい家電』『顧客を売り場に直送する ビッグデータがお金に変わる仕組み』『暗号が通貨になる「ビットコイン」のからくり』(エコノミスト・吉本佳生氏との共著)『漂流するソニーのDNA・プレイステーションで世界と戦った男たち』(講談社)、『ソニー復興の劇薬』『スマートテレビ』(KADOKAWA)、『形なきモノを売る時代 タブレット・スマートフォンが変える勝ち組、負け組』『電子書籍革命の真実 未来の本 本のミライ』『iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』(エンターブレイン)、『リアルタイムレポート・デジタル教科書のゆくえ』(TAC出版)、『ソニーとアップル』『世界で勝てるデジタル家電』『クラウド・コンピューティング ウェブ2.0の先に来るもの』(朝日新聞出版)

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