アメリカの人種差別問題は出版界をも変えつつある

大原ケイのアメリカ出版業界解説

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Photo by yashmori(from Flickr:CC BY

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 白人警官が黒人男性を殺害する事件が起き、ハッシュタグ #Blacklivesmatter とともに抗議活動が始まった。これを受け、アメリカの出版はどう変わろうとしているのだろうか?

「人種差別はいけない」と気づいたアメリカの出版社が今取りくんでいること

 5月末にミネソタ州ミネアポリスで起きた白人警官によるジョージ・フロイド殺害事件をきっかけに、全米でBlack Lives Matter(以下、BLM)運動が続いている。デモ隊と警官の衝突や、一部の扇動者による器物損害や略奪など、派手な映像ばかりが日本で報道されがちだが、その裏で、各地で警察組織の抜本的な改革や、私企業による運動の主旨への賛同表明など、黒人差別の長い歴史が確実に変わりそうな予兆がある。

 同時に、アメリカでのCOVID-19による感染者数・死者数は、世界でも最悪の数字を日々更新している。無能な政権のせいで、連邦レベルで全国統一された政策もないまま、ドナルド・トランプ大統領が再選のために密な状態で群衆が集まるラリーを開催するなど、国民の命などとんと無関心といったところだ。

 こんな状況の中で、はたして出版業にはどのぐらいの影響があり、コロナ禍やBLM運動に対し、アメリカの出版がどう変わろうとしているのかを検証してみたい。

人種問題を扱うタイトルがベストセラーに

 まずはポジティブなニュースとして、黒人差別やレイシズムに関する著書の売り上げ増がある。6月第2週のニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストでは、ノンフィクション部門のトップ10がすべて人種問題を扱うタイトルとなった。主なところでは、以下のタイトルだ。中には刊行から数年経った本もある。

 フィクション部門でもノーベル文学賞受賞者トニ・モリスンの『ビラヴド』や『青い眼がほしい』といった古典がペーパーバックで売れている。

 全国的に各州でコロナ禍対策のロックダウンの解除に入っている段階だが、書籍の売上げ総数を見ると、公民権運動や差別問題を扱った本は通常の3倍増だ。これもBLMの運動家が自らのSNSで「人種問題を知るためのオススメの本」として拡散したのがきっかけとなっており、出版社側からのプロモーションではない。そのため、紙の本の在庫が切れているタイトルもある。つまり、キンドルを持っていない、あるいは普段から本をあまり読む習慣がない人をも巻き込んだブームが起きているということだろう。

辞書の定義もアップデートされた

 読者からの働きかけといえば、もうひとつ特筆したい動きがあった。BLM運動の高まりの中で、ひとりの若者が歴史あるメリアム・ウェブスター辞書の中の「レイシズム」の定義が古いのではないかとメールで投稿したところ、さっそくアップデートされたのだ。

 「人種に優劣があるという信条」「これに基づいた方針や行政措置」「人種による偏見や差別」などの定義が70年代に定められていたが、デューク大学卒のケネディー・ミッチャムさん(22)は、「人種による差別的な社会や組織の構造、つまり systemic racism の説明が入っていないのはおかしいのではないか」と指摘した。

 本人も「形式通りの『投稿ありがとうございました。検討いたします』という返信が来て終わりだろう」と思っていたが、メリアム・ウェブスターの編集担当者は「さっそく現代社会の現実を反映した説明に書き換えます」と返事した。

 近年、レイシズムには「マイクロアグレッション(microaggression)」という行為も含まれるというのが歴史や社会学の常識となっている。これは例えば、黒人がそばに来ただけで道を避けたり、バッグを握りしめたりする行為を指す。コロナ禍が広がるにつれて、アメリカ在住の日本人が街中でうっかり咳払いもできないような空気感もマイクロアグレッションの一つと言えるだろう。そしてそれはれっきとした人種差別行為とされる。

 辞書出版社だけでなく、すべての企業がこれまでの広告や商品にこういった構造的人種差別的がなかったかを見直し、それを是正する動きに出ている。映画『風とともに去りぬ』に歴史的事実と違う奴隷制度の描写があることを補足説明したり、ホットケーキミックスに付いた黒人奴隷を思わせる名前(「アント・ジェマイマ」)を変えたり、などだ。そして企業として自主的にBLM運動に賛同し、応援するというメッセージを発する社が増えている。

出版社に今何が求められているのか

 これに先駆けた社会現象として、セクシャル・ハラスメント行為があったことを告発し、信用性があるとわかれば瞬時にエグゼクティブが解雇となるMeToo運動に関していえば、出版社は大きな転換を迫られたことはなかった。そもそも従業者の7〜8割が女性となっており、ゲイやレズビアンにも寛容な職場だからだ。

 だが、セクハラやパワハラを告発されて、出版界を去った者がいなかったわけではない。DCコミックスの編集者エディー・バーガンザ、パリス・レビュー誌のロリン・スタイン編集長、児童書イラストレーターのデイビッド・ディアズ、「メイズ・ランナー」シリーズの著者ジェームズ・ダシュナー、『13の理由』の著者ジェイ・アシャーなどが仕事を失った。

 だが、ユダヤ人系、女性の割合が高く、黒人に限らず出版業界にはマイノリティーの編集者が少ないことは以前から指摘されており、取り組みが見られなかったわけではないが、さしたる効果は見られていない。いわば日本のアベノミクス女性登用と似ている。積極的に取り組みますと宣言しては、効果的な施策も取らず先送りにするという構造だ。

 アメリカの出版産業に黒人の著者が少ないのは、読者が限られてしまうという間違った先入観の元にタイトルを出し渋ってきたせいだ。黒人の編集者が少ないため、編集者仲間の協力が得られず企画が通りにくい、マーケティング部にも黒人コミュニティーに精通した人材がいないためマーケティングのやり方がわからない、という問題もある。例えば児童書の分野でいえば、マイノリティーの登場人物が描かれた本でさえ、著者は白人であることが多い。

前払い印税の額も人種によって差があった

 これまでにBLM運動が出版業界を特定して抗議したり、人種差別的な本を指摘されたりということはなかったが、そこにも差別構造があることが露見した事件があった。全米にBLM運動のデモが起こる中、#PublishingPaidMe(出版社に支払ってもらった額)というハッシュタグを使い、マイノリティーの著者が自分のアドバンス額を報告しだしたのだ。

 アドバンスというのは、出版社が著者に前払いする印税のことで、実際にその本が思った通りに売れなかったとしても返却しなくていいお金だ。つまり、出版社がその作品に対して見せる誠意や、売れ行き予想を表した数字ともいえる。

 6月はじめにこのハッシュタグを最初に作ったのは2人の黒人ヤングアダルト作家で、BLM運動に賛同しますというメッセージを発信するのはいいけど、それに見合ったコミットメントを原稿料にも反映してもらいたい、と誰もが匿名で原稿料を報告し合うデータベースを公表した。

 ロクサーヌ・ゲイのような著名なLGBT作家や、SF/ファンタジーのヒューゴー賞受賞作家ジョン・スコルジーも参加し、これにより平均アドバンス額をみると、人種でかなりの差があることが明らかになった。

白人男性で占められていた経営陣の交代も

 さらに、大手出版社マクミランの編集者5人が発起人となって、6月8日に「ビッグ5」と呼ばれるトップ出版社が率先してこの人種差別的構造を変えることを訴えてストをし、そこに1500人もの賛同者が集まった。

 これを受けて22日にマクミランのジョン・サージェントCEOは、これまで3人の白人男性で占められていたリーダーシップではなく、13人からなる経営委員会を作り、自分はそこから退くと発表した。おそらく他の出版社もマクミランに続くだろう。

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著者について

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NPO法人HON.jpファウンダー。日米で育ち、バイリンガルとして日本とアメリカで本に親しんできたバックグランドから、講談社のアメリカ法人やランダムハウスと講談社の提携事業に関わる。2008年に版権業務を代行するエージェントとして独立。主に日本の著作を欧米の編集者の元に持ち込む仕事をしていたところ、グーグルのブックスキャンプロジェクトやアマゾンのキンドル発売をきっかけに、アメリカの出版業界事情を日本に向けてレポートするようになった。著作に『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(2010年、アスキー新書)、それをアップデートしたEブックなどがある。
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